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 岡山まで行く機会があったので、岡山ラーメンの神髄を食べてみようと、老舗の「TJそば」を訪ねた。
「TJそば」は岡山駅前から出る岡電の路面電車の「東山」行きに乗って、「城下」電停に近い所にある。
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 店表の構えは少し古臭いが、これが伝統の店の証である。
この店は、戦後間もなくの岡山ラーメンの味を伝えていると云われる。
 その味とはどのようなものか?、早速店内に入ってみた。
しかし店は満席の様であるが、相席で良ければとのことで、テーブルに腰掛けることができた。
 さて注文であるが、この店は中華そばだけの店である。
メニューには番号が振られ、肉抜きやら玉子入りやら大盛りやらの組み合わせで、1から7まである。
このような場合は、とにかく基本メニューを選ぶことにしているので、1番の「天神そば」を注文したのであった。
 暫くして、カウンターが一席空いたので、店員嬢にことわってカウンターに移動し、中華そばを待ったのであった。
 待ち時間に客層を見てみると、近所の仕事人が半分、それと近在であろうかファン層が半分ぐらいである。
多くの方が常連の様な感じである。
 そうこうしてるうちに「天神そば」が出てきた。
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 少し濃い醤油色の半透明のスープである。
トッピングは、厚めのチャーシューが4枚、細モヤシ、蒲鉾、そして刻み葱である。
麺は中細麺のストレートで、昔ながらの醤油ラーメンという装いである。
 さあ、頂いてみよう。
先ずはスープ、最初の一口は鶏の匂いがする。
そして味わいは少し辛めの醤油味である。
スープと麺が絡むと丁度良い感じになる。
伝統の味なのであろう。
 もっちりシコシコの麺としゃきしゃきサッパリのモヤシもよく合う。
チャーシューは見た目通りトロトロではなく少々噛み応えがある。
これも伝統なのであろう夫々、順繰りに頂きながら、岡山の伝統の味を堪能したのであった。
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 さて周辺の探索である。
このラーメン屋の屋号にあるように、この辺りは天神町と云う。
天神町にはラーメン屋の少し北にかつて天満天神が祀られていたという丘があり、天神山と名付けられたことが地名の由来である。
 天神山を訪れてみる。
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天神山の南の半分は岡山県天神山文化プラザという施設が占拠している。
北には、江戸時代の遺構がある。
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岡山城の中掘跡となる石垣である。

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 天神山には江戸時代には、支藩の鴨方池田藩の屋敷があったとのこと、また終戦前には岡山県庁があった場所と云われている。
 少し西へ行くと、岡山中央中学校がある。
その場所は岡山藩藩学の跡との石碑が建っている。
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 明治になってその藩学は、岡山女子師範学校として活用されている。
その学校はどのように受け継がれていったのかは分からないが、太平洋戦争の爆撃で正面の石橋を残し灰燼と帰し、その後、現在の中学校の校地となったとのことである。
記念碑として、岡山二女の跡、岡山大学教育学部附属小学校発祥の地、また熊沢藩山の碑も建てられている。
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 天神町を離れて、地下道を潜り城下電停の反対側を見てみる。
 周辺道路には、岡山城再建50年の幟が沢山飾られている。
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城下電停の反対側は丸の内という住所地であるが、かつては石山と云われた地域である。
かつて、宇喜多直家が備前国を支配した時、この場所に石山城を築いたことで知られる。そして息子の宇喜多秀家が東の岡山に本丸を築き城名を岡山城とし、この石山城は廃城となり西ノ丸とされ、江戸時代の城主、池田光政公の隠居所となった。
西ノ丸跡には西ノ手櫓が保存されていて、重要文化財となっている。
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 西ノ丸と本丸との間は二ノ丸である。
現在はRSK山陽放送の局舎となっている。
その正面駐車場の向こうに岡山城の天守が見える。
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 山陽放送から内堀に向いて下ると、そこには武家屋敷の門を移築した林原美術館がある。
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 また、美術館の南は、図書館、県庁となっていて、岡山城の三ノ丸の跡地である。
 尚、岡山の地名であるが、秀家により本丸が築かれた岡山が県名、市名となっているのはこの由来によるとされている。
もし、直家の築いた石山城を改修し本城としていたとすると、名称は岡山ではなく、石山県、石山市となっていたのであろうか?
 岡山市の中心部は平坦なところであるが、これら天神山、石山、岡山の三つの丘が並んでいて、それぞれ武家達に利用されて来たところである。