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 テレビで広島焼の特集番組を見ていたら、どうしても食べたくなったので、ネットで探した結果、京阪電車の門真市駅の近くに、それ風の店があるとのことで、出かけてみた。
 門真市駅は各停しか停まらない駅であるが、その一方で伊丹空港へ向かう大阪モノレールの始発駅で乗換駅でもある。
鉄道駅には、乗換駅なのにこのように急行が停まらない駅がある。
それぞれ、顧客の利便性よりも鉄道会社の営業戦略優先の結果であるが、やむを得ない。
 さて、鉄道会社の営業戦略は別の機会にして、先ずは門真市駅を出て広い通りを広島焼の店へと向かう。
店は通りに面している筈である。
看板を探しながら行くとビルの横に、店の名がみえる。
その看板のところまできたが、店は無い。
アレッと一瞬の不安となったが、ビルの中へと繋がる通路があった。
トンネルのような通路を入って行くと、右手に目的の店の入り口があり、ホット一息である。
 店の名は「FRP」と云う。
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喫茶店のような名前であるが、サブタイトルに「広島焼 お好み焼」とある。

ドアを開けて入ったまでは良かったが店員嬢の応対の声は、「今丁度一杯になったところです」との云い。
「じゃあ表で待ちます」とドア脇の椅子に腰かけたのであった。

 10分ぐらい待った。
やっとお声が掛かり、カウンター席の大鉄板の前に座ったのであった。
隣は、ジョッキを空けながら煙草を吸う女性の二人連れ、逆側は若者と母親の親子連れのような2人である。
席はテーブルも入れて、20名強は入れそうな店である。
 さて、広島焼である。
掲示メニューを見ると、豚玉とかイカ玉とかある。
そしてそれぞれに、うどんorそばのありなしの選択がある。広島焼ならそばであろうと「豚玉のそばあり」を注文したのであった。

 焼はマスター1人が専念している。
先客のオーダー処理で、カウンター鉄板の調理場側一杯を使って忙しそうである。
 溶いた小麦粉を薄くまあるく広げて、その上に魚粉か何かを掛ける。
そしてその上に千切りキャベツのピラミッドが築かれる。
そして頂上付近にもやしを乗せ、さらに天かすを乗せ、その上に大きな豚バラスライスを1枚半乗せるのが一つの工程である。
そしてその上に、若干の量の生地を振りかけている。
 ある程度火が通ったと思われる頃にひっくり返して、豚肉が乗っている頂上を下にして焼く。
蒸らし焼であろう。
暫く放っておくのであるが、鉄板の 場所によっては金属のボールを被せたりしている。
 その隣で中華麺を乗せ、これはほぐしながら炒め始めている。
出汁を掛けたりしているが、どのようなものかはわからない。麺がある程度炒まった頃、麺の上に先ほどキャベツの逆ピラミッドをそのまま乗せて暫く焼く。
そして隣で生玉子を鉄板に乗せ、黄身を潰して玉子の鉄板焼きである。
暫くした後、玉子の上に全体を乗せ、最後にもう一度ひっくり返して完成である。

 そして若干のソースが掛けられ、青のりも振られ、目の前に押し出されたのであった。
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 見ているときから、キャベツや麺の量は結構多いと感じていた。
果たして最後まで食べられるであろうか?
とにかく頂いてみよう。
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 端から小さいコテで切り分けながら食べて行くことになる。
端には麺がはみ出しているので、最初は麺を主に食べることになる。
麺はよく焼けていているが、しっとりしていて美味い。
 中に進んでゆくとキャベツの集団となる。
蒸されたキャベツが大量に出てくる。
若干の水気があるので、食べるのに苦労はしないが、この場面は野菜料理を食べているような感覚である。
 豚肉はよく焼けている。
カリカリする部分もあるが、麺との相性は良い。
 それにしても量は多い。半分ぐらい行ったところで、ほぼ満腹気味である。
残すわけにもいかないので、後は黙々と、何とか押し込んだのであった。
超満腹、最近にないことであった。
 さて、満腹になったところで、腹ごなしを兼ねて付近を訪れてみることにする。
 この門真市や隣の守口市はかつては「河内国茨田(まった)郡」と云われ、淀川や大和川、そして河内湖
などに隣接するところである。
そのため、水をどのように治めるかが課題のところであった。
水を治めるために河川の流れを変えたり堤防を築いたりするのであるが、最後は神頼みである。
 この地には奈良時代以前から平安時代初期に掛けて、茨田郡五座といわれる延喜式に記載されている神社が創建されている。
 先ずは、門真市駅の大阪寄り3駅目の土居駅の近くに高瀬神社が鎮座する。
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 奈良時代には、この辺りの淀川は高瀬川と云われ、その川に橋を架けた僧行基により、橋の袂に創建された神社と云われている。
当時は淀川と大和川がこの辺りで合流し、また東側には河内湖があった。
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高瀬とは流れで出来た三角州の高台という意味で、この地の豪族も高瀬氏を名乗ったと云われる。

 今度は門真市駅の2駅京都寄りの大和田駅である。
駅の北には堤根神社が鎮座する。
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 この神社は、仁徳天皇の時代に築かれた「茨田(まんだ)の堤」に建てられたもので、これも治水を祈念している神社である。
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 最後は津嶋部(つしまべ)神社である。
場所は門真市駅の北方の守口市金田町に鎮座する。
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 この神社は、かつては東方の寝屋川市の対馬江というところにあったとされる。
対馬江はかつては淀川の中島であり、船の出入りした港であったとのことである。この津嶋部神社は茨田郡五座の一ノ宮と云われていたとのことである。

 茨田郡五社の他の2社は、これより北の寝屋川市と枚方市にそれぞれ鎮座している。