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 2013年に横浜で開催されたナポリタンスタジアムにて仙台のナポリタンがグランプリに輝いた。
以来、仙台のナポリタンが気になっていた。昨年12月に仙台市に地下鉄東西線が開通した。
仙台駅からこの地下鉄に乗ると、青葉通りの地下を通り、広瀬川を川の上に架けられた鉄橋で渡り、青葉山を地下のトンネルで登山して、太白区の八木山動物公園へ至る。
 この東西線は山登りの急勾配区間があるため、車両の駆動方式として鉄輪式リニアモーター方式が採用されているのも新技術であろう。
 さて、この東西線、仙台駅を出て隣の駅が「青葉通一番町」である。
一番町はアーケードの商店街である。
サンモール一番町と云う。
このアーケードを南方向へ抜けると南町通りと交差する。
そして更に南へ少し行くと、左手のビルの地下に「ORTのナポリタン」という専門店がある。
仙台のナポリタンをこの店で頂くことにして、店への階段を降りた。
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店前に券売機があったので、基本のナポリタンよりも少し豪華そうな「俺たちのナポリタン」というチケットを購入し、入店した。

 店内はテーブル席とカウンターの構えで、20席ぐらいの店である。
昼前であったので、まだ客は少ない。
調理場前のカウンターに腰を降ろし、食券を渡したのであった。
 調理場では、マスターであろうか? パスタを具やケチャップソースを入れながら時間をかけて炒めている。
待つこと10分位で、ナポリタンが出てきたのであった。
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 ステンレス皿にナポリタン、その頂上に目玉焼きが乗っている。
そして横にサラダとトマトが付けられている。
 パルメザンチーズを振り掛け、さあ頂いてみよう。
 先ずは麺を一口、絡んでいるソースは結構濃厚である。
麺の味は、そのソースの味に負けて、感じるのが難しい。具には、ベーコンや玉葱、ピーマンなどが入っているが、これもソース味が濃厚で、同じような味がする。
その分、付属のサラダと目玉焼きは清涼剤となる。
交互に頂きながら、なるほどなるほど、これが仙台のナポリタンか、と納得した次第である。食事の後は周辺の見物である。
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 店を出て地上に上がり、前の道をアーケードと反対方向に少し行くと五ッ橋通りと斜めに交差する。
そのまま交差点を直進すると、東北大学の北門へと到着する。
東北大学片平キャンパス、大学本部があり、且つ東北大学発祥の地である。
 折角だから大学の構内を観光してみることにする。
 北門から入らずに北門の前の道を西へ行ってみる。
道の両側は大学の建物である。
 右手(北側)に銅像が建っている建物がある。
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銅像の主は本多光太郎博士、建物は本多光太郎記念館と金属材料研究所である。

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 本多光太郎は、鉄鋼、金属の研究開発を世界に先駆けて取り組んだ人物で、当時世界最高の永久磁石であるKS鋼、新KS鋼を開発し、一時はノーベル賞候補にもなった人物である。
 金属の東北大と云われるが、金属研究のメッカである金属材料研究所を設立するなど、その功績は多大なるものがある。
 更に西へ行くと正門の前を通る道に出る。
正門の少し南へ行くと、そこには第二高等学校の門柱と記念碑が残されている。
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 旧制二高があったところである。
旧制一高は現東大、旧制三高は現京大として良く知られているが、二高はここだったのかという認識を新たにした次第である。
 正門に戻り、正門から学内を眺めると緑の間から学舎が見える。
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 入ってみると先ずは右手に、東北大学史料館がある。
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かつては東北帝国大学附属図書館本館であったとのことである。

 少し先の左手に、大学本館がある。
その本館前は緑地となっていて、先ずは仙台医学専門学校跡碑があり、その傍に魯迅の像がある。
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「阿Q正伝」で知られる魯迅は医学を志し、中国からの留学生として仙台医専に入学したとのことである。
しかし、一年半経って、今の中国に必要なのは肉体よりも精神の改造であるとの思いで退学を決意し、文学の道に進み、活躍したのであった。

 その隣に宮城県女子専門学校(東北大包摂校)の碑も建てられていて、東北大学の歴史を物語っている。
 大学の古い配置図を見てみると、この地に文系学部や理系学部が集合していたようになっているが、現在は去年開通した地下鉄東西線の青葉山の登り口の川内駅に文系学部、そして青葉山駅には理系学部が、駅の近辺に配置されている。
ただし、医学部と病院は利用者の利便性に鑑み、市街地に配置している東北大学である。