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 JR京都駅の東側に、東海道線や奈良線の線路を跨ぐ歩車用の跨道橋がある。
高倉跨道橋と云う名称であるが、通称「たかばし」と呼ばれる。
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 このたかばしを北に下った交差点は、高倉通りと塩小路通りの交差点で、高倉塩小路と呼ばれる。
そして、橋と交差点の中間あたりに老舗ラーメン店2軒が隣り合って数十年前から店を構えている。
一つの店は「SPS館」、もう一つは「第一A」である。
京都では「たかばしへ行こう」と言えば、ラーメンを食べに行こうとなるとのことで、ラーメンの代名詞でもある。
今回、京都駅で時間があったので、かつて行ったことがなかったこの「たかばし」へ行ってみた。
このシリーズでは、京都のブラックとして「SPS館」の支店へ行ったことがあるので、今回は「第一A」である。
行ってみると、両方の店とも行列である。
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「第一A」は「京都たかばし本家第一A」が正式名称である。
創業は50年以上も前である。
「第一A」というラーメン店は京都にはいくつかあるが、本店支店の関係ではなく、それぞれ関係者が店を構えていて、「本家第一A」という店はこの店が唯一の店だそうである。

 詳細はともかくとして、まずはたかばしを渡り店の前まで行ってみた。
噂通りの行列である。
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どれくらい待つことになるのかわからないが、13~4人の行列の後ろに並んでみた。

 待つこと25分、やっと店内に案内された。
店内は少しのカウンターとテーブルが6~7席で、フルに埋まると30人ぐらいであろう。
 テーブルについて、やっと注文である。
「特製ラーメンと普通のラーメンと量は違うの?」
と聞いてみた。
「量は多いですが、味は一緒です」
との答え。
「それでは…、」と普通のラーメンを注文したのであった。
 それから待つこと約10分、やっとラーメンが運ばれてきたのであった。
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見るからにスッキリしたラーメンである。
スープは醤油色で透き通っている。

 麺は中くらいの太さのストレート麺である。
 麺鉢の中央にはもやしとその上にたっぷりの九条ネギ、そしてネギを取り巻くようにチャーシューが配置されている。
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 さあ頂いてみよう。

先ずはスープ、醤油味が少し濃いがコッテリ感は全く無い。
現在は、スープコッテリ系のラーメンが多い傾向にあるが、これはあっさり系である。
しかし豚骨ではあるが、かなりの工夫があるものと思われる。
正しくラーメンの原点と云えるスープであり、人気有りなのが良く分かる。

 次に麺、これも爽やかな麺である。
腰やネットリ感の主張はしない。好きな麺である。
 モヤシや九条ネギは麺を食べる間の清涼剤となる。
最後にチャーシュー、少し薄目であるがスープが良く染み込んでいる。
麺のおかずとなるチャーシューである。
 なんのかんのと云いながら最後の一滴まで美味しく頂いたのであった。
 もう一度跨線橋まで戻り、橋の両側を眺めてみた。

京都駅は西方向にある。

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右手には京都駅ビル、左手には新幹線のホーム、その間が在来線の線路とホームである。

 反対側である。
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東山に向いて、丁度奈良線の緑の電車が出発しているところであった。

 線路を眺めた後は、もう少し東まで行ってみようと歩き始めた。
京都駅の東側は崇仁(すうじん)と云われる地区である。
地区内を歩いてみると、柳原銀行記念資料館という明治時代に建てられたであろう木造の2階建てがあった。
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 説明によると、明治32年、柳原町の町長であった明石氏ら地元の有志によって設立された銀行である。
この地域は被差別部落であり、当時、事業などに資金が得られなかった地域企業のために設立された日本で唯一の銀行であった。
 そして産業の育成や振興に大きく貢献したと云われる。
 またその利益を地元の小学校や道路建設に充てるなど、自力で差別を撤廃していく模範とされたと云われている。
しかし大正期には金融恐慌などの影響を受けて倒産したと云われている。
 銀行跡の少し東には角倉了以によって開削された高瀬川が流れている。

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河畔には寒緋桜が今は盛りであった。

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 そして少し東へ行くと鴨川に架かる塩小路橋があり、橋から南を望むと、東海道線と新幹線の鴨川鉄橋が見える。
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