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 大阪市営地下鉄の谷町線に、谷町九丁目と云う駅がある。
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守口市の大日駅から梅田へと向かい、東梅田から南下して八尾市へと向かう谷町線は、東梅田から先は国道一号線を東進し、桜の通り抜けで知られる造幣局の手前辺りで天満橋筋に通りを変え南下を始める。
その先、大川を渡り天満橋駅からそのまま南下して、谷町(谷町四丁目)、谷六、谷九と「丁目駅」が連続し、夕陽ケ丘、天王寺へ向かう。

 その谷町九丁目駅は、近鉄電車の上本町駅との乗換駅であるが、乗り換えるにはかなり遠い。
もし両鉄道が同じ駅名であるとしたら大いに顰蹙ものであるが、駅名が違うから良しとしたい。
 谷町九丁目には昔からのうどん屋がある。
「谷九FR里」と云う。
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今回はこの店を訪ね、美味しいうどんを頂いてみようと「谷九」で途中下車した。

 地上へと上がり南方向へと向かう。
途中右手に生國魂神社への参道があるが、これは食事の後にして、先ずはFR里へと向かう。
 谷九FR里は年中無休24時間営業の店である。
美味しいうどん屋として、多くの人に親しまれているとのことである。
どんなうどんが頂けるのか、早速入ってみた。
 真ん中に大テーブルと両側カウンターがメインの店である。
小上がりもあるようであるが、それは奥にあるのであろうか?
とにかく大テーブルの一角に座り、壁際のメニューを見てみる。
 うどんの種類は多い。
ここでは大阪うどんの基本となる「きつねうどん」を頼んだのであった。
更に壁を見てみると、芸能人なのであろうか色紙が所狭しと並べられている。
芸能人にも人気の店なのであろう…。
 5分程してきつねうどんが出てきた。
出汁は黄金色の醤油色の半透明である。
揚げは一枚物の普通サイズ、他に刻み青ネギが乗っている。
テーブルにあった天かすを適量乗せて、さあ頂いてみよう。
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 うどん麺は、細めの平たい感じの麺である。
出汁はというと、やはり大阪のうどんである。
昆布と鰹節が効いた味で、美味い。
 麺は柔らかいので、抵抗なく食べられる。
揚げは甘めに味付けがされているので、出汁に溶け込むと少し甘くなる。
これがきつねうどんの味わいである。その美味さを堪能して、店を後にしたのであった。

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 さて、探索であるが、このうどん屋がある住所地は生玉寺町という。
先ほど参道の前を通ってきた生國魂(いくたま)神社へと云ってみることにするが、神社の住所地は生玉町である。

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正面の大鳥居を潜ってその鳥居の奉納者の名前を見てみるとサントリーの創業者の「鳥井信治郎」と書かれている。流石に難波大社である。

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 左手の境内図を見て、先ずはお参り、そして探索である。
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 正面には拝殿が構えている。
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その奥の本殿の祭神は生島(いくしま)大神、足島(たるしま)大神、相殿に大物主大神である。
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この拝殿本殿は大阪大空襲で焼失、その後再建されたがまたもジェーン台風で倒壊したためコンクリート造りとなっている。

 境内の右手から奥にかけて、石碑やら境内社が配置されている。
先ずは右手に、上方落語発祥の地「米澤彦八郎の碑」がある。
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 そしてその森の奥に「井原西鶴」の座像が置かれている。
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 杜の左奥、西方向へ行くと、途中に難波の小説家である「織田作之助」の立像もある。
 この像は3年半前に建てられたもので、新しい。
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奥の摂社群は数多くあるが、左奥に「鴫野神社」というのが祀られている。
元々は大坂城の東の鴫野に祀られていた神社で、淀君が足繁く通ったという、鴫野の弁天さんである。
この地に遷座され、現在は淀姫神も合祀されている。
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 最後は右奥である。
「浄るり神社」が祀られている。祭神は近松門左衛門を始めとする浄瑠璃文楽関係者である。
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明治時代の創建であるが、文楽関係者や日本舞踊の関係者の信仰が篤い神社である。

 近松門左衛門が書き上げた世話物良瑠璃の最初の作品の「曾根崎心中」はこの生國魂神社が舞台の一つになっている。
少々長くなるが、そのくだりを掲載させて頂く。
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 内本町の油屋平野屋の手代「徳兵衛」と、堂島遊郭の遊女「お初」は恋仲になっていた。

この日、生國魂(いくたま)神社でこの二人、偶然に出会った。
お初はこのごろ流行っていた三十三ヶ所参りの客にお供して来ていたのであった。

「近頃、とんとご無沙汰だねェ~」と、徳兵衛をなじるお初、
「実は、大変な目にあって、それどころではないんだ・・」
客もいるので、その場はそれで別れた。

 徳兵衛には、店の姪と所帯を持って、新しい店を持たすという話が出てきていた。
気の早い店の叔父から、徳兵衛の継母に多額の持参金が渡されていたのであった。
結婚を固辞した徳兵衛は、店は首にはなったが、継母から金は取り戻していた。
しかし、どうしても金が要るという連れの九平次に3日限りの約束で、その金を貸してしまったのであった。お初と出会った直後に、生國魂神社に、九平次が現れた。
「もう期限も過ぎている  金を返してくれ」
「何を寝言を言うとるか? 貴様から金など借りてないわい」
「何を言うか ここに証文も持っている ほら~ァ」
「こんなでたらめな紙切れを作りよって・・」
「お前のハンコも押してある 間違いない」
「ハンコは偽造だな 良く出来ておる 詐欺師めが・・」
と、取り合わないばかりか、詐欺師呼ばわりされる始末であった。
更に、食い下がると、殴る蹴るの暴行騒ぎ、引かざるを得なかった。

その夜、お初の遊郭に行った徳兵衛、金も無いのでこっそりと遊郭に入り込んでいた。
そこへ九平次が現れたので、床下に隠れたのであった。

お初に素っ気無くされた九平次、徳兵衛の悪口を散々言って、さっさと帰っていったが、もうだめだと感じた徳兵衛、床の下からお初の足に、「し」という指文字を書いて、足をひっぱり、死に行く決意をあらわしたのであった。
そして、お初もそれに応えたのであった。

いよいよ、心中の道行き場面、 夜半に、遊郭から抜け出した2人、 近松の名調子は、
「この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば、
あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ
あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、
寂滅為楽(仏教で言う、涅槃、さとりの境地)と響くなり~~ 」

時は六つ午前4時、人目に付かぬように、北側を大きく迂回、今の大阪駅の辺りの、荒地のぬかるみの中を、手を取り合って、露天神(お初天神)を目指したのであった。
神社の森へ到着した二人は、いよいよ心中の場面を迎えたのであった。