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 金沢市を中心に「金沢カレー」と呼称されるカレーライスがある。
今から約10年前に「○○カレー」なるご当地カレーが流行した。
「よこすか海軍カレー」や「札幌スープカリー」などであるが、それに乗っかった形で「金沢カレー」と銘打ったものである。
 金沢カレー協会と云う団体があり、そこでは、「ルウは濃厚でドロッとしている」「付け合わせとしてキャベツの千切りが載っている」「ステンレスの皿に盛られている」「フォークまたは先割れスプーンで食べる」「ルウの上にカツを載せ、その上にはソースがかかっている」と、この5点を金沢カレーの共通点としているとのことである。
 金沢カレーは何十年も前から、上記の特徴のカレーを提供している店が幾つかあって、地元ではそのカレーは定着していたと云われている。
 薀蓄はこのくらいにして、金沢カレーを頂いてみよう。
選んだ店は金沢駅構内にあり、土産物屋街に続いている「GGカレー金沢駅総本山」である。

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行列は無く、直ぐに入れたが、約30席ぐらいの店内は9割方埋まっていた。
先ずは注文を聞きに来た店員氏に、ロースカツカレーの小を注文して暫く待つことになった。

 この店、先客の皆さんはカレーを食べている最中である。
普通はあの食器とスプーンの触れ合うガチャガチャ云う音がそこここでして煩いものであるが、この店は静かである。
この理由は後程わかるのであるが…。
 暫くしてカレーが出てきた。
カレー皿はステンレス製、そして握る部分が木製で、お子様フォークみたいなもので食べるようである。
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 黒っぽいカレールウに包まれてご飯は見えない。
ルーの上には、ソースが掛けられたトンカツ、そして大量の千切りキャベツが乗せられている。
 さて、頂いてみよう。
先ずは黒いルウである。見た感じ辛いのではとのイメージがあるが、濃かったが、どちらかと云うと甘い方である。
玉葱やリンゴが効いているのであろうか…。トンカツは若干薄いが脂がのって柔らかく、比較的アッサリしている。

 ルウとご飯、ルウとトンカツ、そしてそれにキャベツを抱き合わせて口に運ぶと、丁度良い加減の味になるのであった。
 ステンレス皿とフォークの触れ合いは、コツコツと云う小さな音で、余り周囲に響くものではない。
この金沢カレーの英断は、拍手ものである。
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 余談であるが、GGカレーのネーミングは、石川県出身の大リーガーである松井秀喜氏の背番号から取ったものだそうである。
また、マスコットキャラクターは松井氏のゴジラならぬゴリラとしている。
 そしてGGカレーの店舗展開は、東京・関東で開始し、同時に金沢でも行ったという変わった経歴を持つ。
海外でも店舗を構え、都合80店にも及ぶ店舗展開をしている。
また、GGカレーは金沢カレーの火付け役を自認している店でもある。
さて、カレーの後は名所見物である。
金沢には多くの名所や文化財があるが、駅から歩いて行ける武家屋敷群を訪ねてみることにした。金沢城は浅野川と犀川に挟まれた自然の要害となっているが、城下の水利は良くないので、数多くの用水路が設けられ、総延長150kmにも達していると云われる。

 その中で辰己用水や鞍月用水はの名は良く知られている。
 金沢駅から南に少し歩くと、鞍月用水と並んでいる最も古いと云われる大野庄用水の流れに出会う。
この用水の少し上流の両側に、加賀藩の武士達が住まいしていたが武家屋敷群跡がある。
現在も当時の面影が数多く残されているところである。

 先ずは足軽屋敷の跡である。

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更に進むと、用水沿いの道路に沿って旧加賀藩士高田家の跡、そして用水に沿った土塀が幾つも見られるようになる。

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 もう少し行くと野村家屋敷の跡がある。
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野村家初代の伝兵衛信貞は、前田利家の金沢城入城に際し直参として従った人物である。
その後野村家は加賀藩士として十一代に渡って馬廻組組頭や奉行を歴任し、1200石の禄高が与えられ、1000坪の屋敷を領し、明治まで続いた家系である。

 この野村邸が、丁度公開されていたので内部見学してみた。
邸内には、濡れ縁と大野庄用水を引き入れた曲水の庭の構成は見事である。
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その他、上段の間や茶室など、当時を偲ばせるものが多数ある。

 また用水から離れての路地は、土塀に包まれて、今にも武士が現れそうな雰囲気がするのであった。
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