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 大阪と京都を結ぶ京阪電車の京橋駅には、隣接して同名のホテルがある。
中層のホテルであるが、地下から6階まではショッピングゾーンやレストラン街となっている。
乗換時の昼食などには大変便利な所である。
 そのレストラン街に「河内らーめん」の大きな看板を掲げた店がある。
丁度昼時だったので、店に入ってみた。
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広い店である。
真ん中に1人用の大テーブルを置き、周りに少人数用のテーブルを7~8脚ほど配した、和風民芸調仕立ての50席位の店である。

 暑い折、ラーメンはあまり好まれないのであろう。客は10人足らずで空いていた。
メニューを見てみると、色んなラーメンが並んでいる。
どれもこれも「河内らーめん」なのであろうが、このような場合は基本となるラーメンを味わうことにしている。
やってきた店員嬢に「らーめん」と注文した。
「麺は、どうしますか? 太麺、細麺、平麺とありますが…」
と聞かれ、ここは細麺を注文した。
 待つこと5分ぐらいか、河内らーめんが出てきた。
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見た感じ、濃いめの醤油ラーメンのようである。
表面に脂が少々浮いている。

 トッピングは、チャーシュー、メンマ、細モヤシ、青ネギ、そして板海苔である。
味はどうなのか? さて頂いてみよう。
 スープは見た目通りの濃いめの醤油味である。
店の能書きによると、丹波黒豆で醸造した醤油と書かれている。
 そして鶏ガラをベースに色んな物が混ぜられているようであるが、その詳細は感じることは残念ながらできない。
麺は細麺のストレート麺、熟成ではないので小麦を味わう感じである。これは好きな麺である。
モヤシを絡めるとこれがまた良く合う。
チャーシューは柔らかい。上手くできている。このような豚骨出汁があまり絡まない醤油味もなかなか良いものである。
少々辛いかな?と思いながらも、美味しく頂いたのであった。
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 この辺り一帯は京橋と呼ばれているが、京橋と云う地名がある訳ではない。
JRや京阪電車の駅名が京橋であるので、皆がそういうようになったものである。
それでは京橋という名はは何処から来ているのか?
 京橋とは大坂城の城内と城外を結びつける橋のことであった。
かつて大坂城から京都へ向かうときには、城の北外堀の北の寝屋川に掛けられた橋を渡り、京街道を上った。
その橋は京橋と名付けられ、城の京橋口と云った。
現在も京橋という橋や京橋口という場所は同じところにある。
しかし当たり前であるが、当時からは大幅に改修され、様相が変わっている。
自動車道の京橋の上には歩道橋の京橋も掛けられている。
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 京橋と云う町名は、かつてこの橋の西側近辺にあったようである。
しかし、京橋と云えば京橋駅の周辺を指すことであるので、ややこしい。
何年か前に廃されて、大手前とか天満橋などのよく知られている町名として生まれ変わっている。
 勿論のこと、川も大きく変遷している。
豊臣秀吉の時代には、奈良から流れて来る大和川は大坂平野の周辺部を流れ、この大坂城の辺りまで流れ込んでいた。
大坂平野が河内と云われた所以である。
 そしてその大和川は大坂平野の洪水の元凶であり、河内は常に低湿地を余儀なくされていた。
江戸時代の元禄期に、その大和川が奈良から河内の南部を真っ直ぐに西に流れるようにし、現在の大阪市と堺市との境界で海に注ぐようにする付替えが行われた。
そのお蔭で大坂平野は洪水から逃れることができ、且つ多くの新田が開発されることになったのである。
 その旧大和川の一部の名残りは第二寝屋川である。
現在は元々あった第一寝屋川とこの第二寝屋川が大坂城の北外堀の北で合流している。
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そしてその合流した寝屋川に架かっている橋が京橋である。
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 橋の京橋と駅の京橋は1km程度は離れている。
それでも、どちらも京橋である。