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北陸本線で金沢へ向かう途中に、石川県に入って暫く行ったところに加賀温泉と云う特急停車駅がある。
加賀温泉郷の中心駅であるが、温泉目的ではなく、前々から気になっていた那谷寺(なたでら)訪問のために途中下車してみた。
加賀温泉郷の中心駅であるが、温泉目的ではなく、前々から気になっていた那谷寺(なたでら)訪問のために途中下車してみた。
このバスはコミュバスか?と思ったが、そうではないとのこと。
女性の添乗員がバスガイドを務めていて、観光案内もしてくれる。
その分料金が高いが、止むを得ない。
女性の添乗員がバスガイドを務めていて、観光案内もしてくれる。
その分料金が高いが、止むを得ない。
山廻りのバスに乗ると、先ずは山代温泉街へ向かう。
有名な温泉宿「HM石」の横を通り、温泉街の中を抜けて、田園地帯を小松市に入ると直ぐに那谷寺の森が見えて来る。
有名な温泉宿「HM石」の横を通り、温泉街の中を抜けて、田園地帯を小松市に入ると直ぐに那谷寺の森が見えて来る。
バス停前の大きな茶店「KZ亭」の店員さんが出迎えてくれる。
メニューを見てみると「小松うどん」という聞き慣れないうどんが記されている。
ここでは、これを食べてみようと、寺の前であるので、その雰囲気に合わせて山菜うどんを注文した。
ここでは、これを食べてみようと、寺の前であるので、その雰囲気に合わせて山菜うどんを注文した。
待つこと5分ぐらいか…。小松うどんの山菜うどんが出てきた。
出汁は醤油色で濁り気がないが、濃そうである。
お決まりの蕨や細竹、木耳などが具である。
小松うどんはどうかと云うと、断面が楕円形の稲庭うどんに似た細いうどんである。
お決まりの蕨や細竹、木耳などが具である。
小松うどんはどうかと云うと、断面が楕円形の稲庭うどんに似た細いうどんである。
先ずは出汁、魚の節と昆布の味に醤油の強い味である。
うどんは柔らかくて喉越しが良い。コシは讃岐のように強くは無い。関西風である。
うどんは柔らかくて喉越しが良い。コシは讃岐のように強くは無い。関西風である。
この濃い出汁にコシの強いうどんではバランスが悪い。
丁度良い感じで、食べ易く、また寒い折には温まって良い。
最後まで味わい深いうどんであった。
丁度良い感じで、食べ易く、また寒い折には温まって良い。
最後まで味わい深いうどんであった。
2
尚、この小松うどんは300年前、当地を訪れた松尾芭蕉が絶賛したと云われている。
また、当時は加賀藩御用達で、加賀名物として将軍家や各大名に贈られていた伝統のうどんだそうでもある。
また、当時は加賀藩御用達で、加賀名物として将軍家や各大名に贈られていた伝統のうどんだそうでもある。
現在の小松うどんは「小松うどんつるつる創研」という団体が差配していて、小松市内には約60の提供店舗があるとのことである。
そして定義も決められていて、それは「小松市内で製造された麺であるべし」「白山水系の水で仕込むべし」「出汁は、うるめ、むろあじ、さばなどを主に用い、昆布をふんだんに使いひくべし」「こまつの発展を願い、茹で上げるべし」などである。
そして定義も決められていて、それは「小松市内で製造された麺であるべし」「白山水系の水で仕込むべし」「出汁は、うるめ、むろあじ、さばなどを主に用い、昆布をふんだんに使いひくべし」「こまつの発展を願い、茹で上げるべし」などである。
さて、目的の那谷寺に出かけてみよう。
那谷寺は、芭蕉が奥の細道の旅で訪れ、「石山の 石より白し 秋の風」と詠んだことで良く知られている。
即ち、白い岩肌が露出した奇岩景観が期待できるところである。
即ち、白い岩肌が露出した奇岩景観が期待できるところである。
先ずは山門から入る。
左手には金堂華王殿がある。本尊は丈六(1丈6尺、5m弱)の十一面千手観音である。
観音様に参拝した後、両側が苔生した庭の中の石畳の参道を辿ると左手に池のあるところに至る。
池の対岸は奇岩遊仙境である。見たかった奇岩が迫って来る。
観音様に参拝した後、両側が苔生した庭の中の石畳の参道を辿ると左手に池のあるところに至る。
池の対岸は奇岩遊仙境である。見たかった奇岩が迫って来る。
池の先の石段を登ると加賀三代利常公が再建した本殿・大悲閣拝殿である。
拝殿の中を通り過ぎ、大池の傍の遊歩道を辿り、階段を登るとやはり利常公再建の三重塔に達する。
そこから楓月橋を渡って鎮守堂に達する。
その先は、一旦下に降りる。
そこには芭蕉の句碑が建てられている。
その先は、一旦下に降りる。
そこには芭蕉の句碑が建てられている。
その先には、若宮白山神社への参道があるので、神社への参拝を済ます。
そして護摩堂へと登る。そしてその先には鐘楼が建てられている。
そして護摩堂へと登る。そしてその先には鐘楼が建てられている。
鐘楼から下に降りると元の苔生した庭の石畳に出て、境内一周となり、もとのバス停に戻ったのであった。