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 ふと思い立って、大阪の梅田にある道真公ゆかりのもう一つの天満宮「綱敷天神社」を訪れてみることにした。
綱敷天神社は、道真公が九州大宰府に左遷されたその赴任の途中に立ち寄った場所で、この付近の人々が、船の舫い綱を座布団のように丸く巻き付け、公と歓談するとともに見送りをした所に、公を偲んで祀られたことに由来する神社である。
 綱敷天神社は本社と御旅所そして歯神社(はがみしゃ)の3つの社から構成される。
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 どの社も、阪急梅田駅に近いところにあるので、順不同で訪れてみた。
 先ずは御旅所、阪急駅の直ぐ北東側にある。
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 一般的に御旅所と云うのは、本社の祭礼の時に神輿が一時的に立ち寄る場所のことを云うが、この御旅所はそうではなく、立派な社殿もあり1つの神社として建立されたものである。
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 その前身は、綱敷天神社本社の南にあった梅塚天満宮という神社であった。
 明治になって神仏分離令により、社地が国に没収されたことがあった。
しかしこの付近の人々の申し入れと土地の寄進により、先ずは西天満へ、その後現在場所へ遷座され、茶屋町の氏神としての信仰を集めるようになったという経緯がある。
 もう少し南へ下り東へ行くと、新御堂筋とJR東海道線、環状線の高架橋の下あたりに歯神社が鎮座する。
この辺りは角田町である。
通称は、「はがみさん」と云われている小さな神社である。
この神社は本社の末社で農耕の神として崇められていたものである。
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 淀川の決壊をこの付近で歯止めするというご利益があったことから「歯神社」と呼ばれるようになり、
以来、歯痛にご利益がある神社である。
 最後は本社である。本社はさらに東南方向にある。
道がわかりにくいので、新御堂筋の下の道を南へ行き、阪急東通り商店街と交差する所で、商店街を東へ行き、商店街が尽きる所に綱敷天神社本社が鎮座する。
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この辺りは、神山町である。

 この神社は道真公と縁深い神社であるが、その創建はそれよりも古い平安時代の初期である。
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 嵯峨天皇が摂州菟餓野(上町台地の北端辺り)に行幸したことから、子の源融(みなもとのとおる)が天皇崩御の後、天皇追悼のためこの地に太融寺を創建し、そして天皇を祀る社を併せて創建したものと云われている。
 その太融寺はこの神社の少し南にあり、新西国三十三ヶ所の札所に数えられている。
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 綱敷天神社を一巡したところで、さて昼食である。
梅田駅に戻るべく西方向へと行くと、途中に地下街への入口がある。
降りたところは「泉の広場」と云う。
 円形の広場の中央に噴水があるところである。
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 この近辺には沢山の食事処がある。
この時は時間があったので、行列の店を探し、5、6人の行列の店を見つけた。
「大阪TT」との暖簾が出ている。
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他にはなさそうなので、ここに決め、行列の続きに並んだのであった。

 10分ぐらい経った頃、前はあと1組になった。
ショーウインドウのサンプルを見ることができる。
トンテキとは、豚肉に切り込みを入れて焼き上げたもののようである。
普通と大とメガのトンテキがある。
またハンバーグならぬトンバーグ、そしてトンテキ丼もある。
 さてどうしたものか?と思っている時に、店内に誘導されたのであった。
長いカウンター席と5つ6つのテーブルの店である。
カウンターの奥に腰かけて、注文となった。

あれこれ迷わず、ベースとなる普通のトンテキ定食を注文した。

 待つこと10分ぐらいか? 料理が出てきた。
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普通の注文でもかなりなボリュームがありそうである。
皿にはドレッシングの掛かったキャベツ、マカロニサラダがトンテキの奥から覗いている。
そして手前に大粒のニンニクの塊りが付いている。
味噌汁が付いているのも嬉しい。

 さて頂いてみよう。
 先ずはトンテキ、分厚いし、少々堅いので噛み応えがある。
箸で千切れるかと思ったがそうもいかない。
仕方ないのでフォークを用い、細かく切り分けたのであった。

豚肉の感じは、所々に堅いポイントがあることから、肩ロースのようである。
ロース肉よりは味があるので、この肩ロースは正解である。

 ニンニクは柔らかく仕上がっているので、抵抗は無い。
そして、ご飯、味噌汁、サラダと交互に頂いたのであったが、それにしてもテキの量は多かった。
因みに普通量で200gである。
 可能ならば、ミニ150gぐらいのメニューも欲しいものである。