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 金沢市の金沢城の東南に「小立野(こだつの)」と云う所がある。
 戦国時代の終わりごろ、加賀・能登の国を与えられた前田利家が金沢城を修築し、城下町を整備するにあたり、金沢の寺院を3ヶ所に集めた。
その一つがこの小立野、後の二つは、城の東北側の浅野川を渡った所の卯辰山山麓、城の西南側の犀川を渡った所の寺町台である。
 寺の話は後程にして、この小立野には、金沢で生まれた料理「ハントンライス」を食べさせてくれる店があるとのことで、近くまで行ったついでに訪れてみた。
その店は「キッチンSの実」という名前である。
バス停で降りて、付近を探し、やっと見つけたような具合であった。
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表にはハントンライスの大きな看板もあがっている。

 店に入ってみた。
オープン直後であったが、既に一組の客がいた。
テーブルとカウンターの店で17~8席ぐらいある。
カウンターに腰を掛けて、接客嬢を待ったのであった。
 注文は勿論のことハントンライス、暫く待つことになった。
 カウンターの奥横に調理場がある。
ライスを炒めているのが見える。
フライ鍋は見えないが、恐らくフライを揚げているのであろう。
 暫くして、別のフライパンに軽く溶いた玉子をおとしたかと思うとその上に、先ほどの炒めライスを乗せたようである。
そして皿に盛ってフライを乗せ、白いソースを掛けて出来上がりである。
スープとサラダと一緒に出されたのであった。
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さあ、頂いてみよう。

 フライやソースは、取り立てて言うことはないが出来立てで、それなりに美味いものであった。
 炒めたライスが殊のほか美味い。
洋食はあまり食べないので、バターで炒めたライスの味はどうのこうのと云うことはできないが、まろやかで、美味いものであると感じたのであった。
 食べ終わったころマスターがカウンターに顔を出したので、先ずライスの感想を伝え、ハントンライスに付いて聞いてみた。
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 マスターはハントンライスを開発した金沢片町の何とかいう店で調理人をしていたそうで、独立してこの店を始めたとのことである。
ハントンライスは、その当時、オヒョウというカレイのお化けのような大きな魚を調理して、食べることになり、このような料理を考え出したとのことである。

ハントンのハンは、ハンガリーに似たような料理があることからハンガリーのハン、しかしトンは語呂合わせなのか、何か意味があるのかは良くは分からないとのことであった。
(巷では、トンはマグロを表すハンガリー語であるとの説もある)

 ご飯はパプリカとバターで炒めているそうである。
またフライは白身魚、ソースはオリジナルの門外不出であるとのことで、説明は無かった。
 そして「美味しかったです」とご馳走様を言い、店を後にしたのであった。
 直ぐ近くに小立野寺院群がある。
前田家にゆかりの「天徳院」そして「如来寺」を訪ねてみた。
 天徳院は若くして他界した前田家第3代の利常公の正室珠姫の菩提を弔うために利常公が建立した寺である。
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尚、珠姫は将軍秀忠公とお江の間に生まれた姫で、千姫の妹、家康公の内孫でもある。

 珠姫は前田家と徳川家の融和を計るために、3歳で前田家に嫁ぎ第4代の光高以下、3男5女を生み、わずか24歳で他界した姫である。

余談であるが、この珠姫の嫁入りと交換に利家公の正室芳春院(松)が江戸に赴き人質となった話は良く知られている。

 その隣に如来寺がある。
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この寺は、元々越中に創建された浄土宗の寺院であるが、前田家第5代の綱紀公の時、生母清泰院(せいたいいん、水戸黄門の姉)の位牌所としたことから、それ以後、徳川家の家系に属する前田家の位牌所とされている。

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 また如来寺は石仏の寺としても知られている。
毎年毎年夏が近づくと石仏を掘る人達が集い、彫った石仏を境内に奉納するということが行われている。
そして現在では、1000体以上もの石仏が祀られていると云われる。
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