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 兵庫県の神戸港の南西側に東に突出した半島がある。
突端は和田岬と云われる三角形の形をしていて、かつてはその突端に外国船に対する沿岸防備のために徳川幕府が砲台を構え、現在もその遺構が残っている。
 明治になるまではこの地域の港は、この岬を廻りこんだところの兵庫の津であった。
古代よりこの港に西から船が入る場合、この岬を廻って入ることになるが、淡路島と明石の間を吹き抜ける風や潮の流れがこの岬廻りの船にいたずらをし、航海の難所とされていた。
神功皇后の三韓征伐の帰路、船が動かなくなったという逸話が数多くあるが、それもこの原因に依るものである。
 明治になって港の拠点は神戸港に移ったが、航海は同様である。
そこでこれを解消するために、この三角形を根元で横切る兵庫運河が開削され、航海は容易になったと云われている。
そしてこの和田岬は水路で切り離されたことになり、架け橋で行き来する島のようになったのでもある。
 明治になってこの和田岬に大きな工場が出来た。
我が国の有数の企業であるMB重工の神戸造船所である。
その結果、和田岬というところはMB重工の工場とその関連が多くを占める地域となったのであった。
 近年は神戸市の地下鉄海岸線がこの和田岬を経由しているので、簡単に行くことができる。
今回はその地下鉄に乗って和田岬駅で下車し、駅周辺を探索してみた。
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 先ずは食事である。
以前来た時に「ぼっかけ蕎麦」を食べて美味かったので、今回もその店「Mさわ」に行って見ることにした。
場所は確かMB重工の正面門の近くであったように思うが、一度は通り過ぎてしまった。
間口が狭く、以前とは違って居酒屋雰囲気の飾り付けになっていたからである。
そして再び駅から歩き、やっとのことでその店が分かった次第である。
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 店内は立ち席ばかりのセルフである。
5~6人の行列が店内にできている。
順番が回ってきたので、今回は「ぼっかけうどん」を注文した。
 カウンターの向こうで調理されている。
温めたうどんを饂飩鉢に入れ、うどんスープを掛け、その上にぼっかけを乗せ、最後に葱を少々乗せて出された。
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隣で料金を支払い、カウンターの空いているところへ持っていった。

 さあ頂いてみよう。
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 うどんスープはぼっかけの煮汁が混ざって、まろやかである。
少し甘い感じがするが、紛れもない関西うどんの味である。
 次にぼっかけ、形は様々である。小さいものは既に底に沈んでいる。
これも柔らかい。難なく噛むことができ、美味い。
 そしてうどん、コシのない関西うどんである。
食べるごと、ほのぼのとする。
 うどん麺を食べ終わっても、スープは残る。
そのスープの中にぼっかけが沢山沈んでいる。
引き揚げながらスープも飲む。
最後には鉢には何も残らない状態となり完食である。
 さて少し歩いてみよう。
この「Mさわ」とMB重工の前の通りは和田宮通りと云う。
この通りを駅の向こうへ行くと手前に三石神社、その隣に和田神社が並んでいる。
 先ずは三石神社を訪れてみる。
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 神功皇后ゆかりの神社で、境内には神功皇后とその子の応神天皇を抱く武内宿禰の像がある。
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 そして想像であろうが、皇后の顔もはっきりと見ることができる。
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 皇后は三韓征伐の帰路この地に立ち寄り、祈願したところ神託を受け、廣田、長田、生田、住吉を祀ることになったと云われる。
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 そしてこの地は後世になって、僧行基によって神社として祀られることになったという経緯がある。

さらにその隣に和田神社がある。
蛭子(えびす)神を祀る神社である。

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この神社は、淡路から蛭子神が最初に本州に到達・上陸した地であると云われる。

 この2つの神社の鎮座地は明治の中ごろまでは、もっと南の地の海岸にちかいところであった。
しかし、MB重工の工場建設のために現在の地に遷宮されたものである。
 和田岬の地で現在的なものはサッカー場である。
神社の西側の御崎公園にノエビアスタジアムがある。
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ご存じJ1のヴィッセル神戸、なでしこのINAC神戸レオネッサ、ラグビーの神戸製鋼のホームグラウンドである。