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 『♪庄内離れて~ 三国を過ぎりゃ~ ネオン渦巻く十三よ~ ・・・』
と、今は亡き名優、必殺仕事人中村主水の藤田まことが作詞作曲唄の「十三(じゅうそう)の夜」に歌われている庄内を訪ねてみた。
 庄内は豊中市の最南部の街である。
どちらかと云うと、庄内は下町風情があるところで、庶民には馴染み易いところである。
尚、豊中市は大阪府では人口が5本の指に入り、北部には千里ニュータウンや大阪空港、そして大阪大学などがある。
 阪急宝塚線に乗ったついでに、昼食をと庄内駅で途中下車してみた。
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 駅の近くには幾つかの商店や飲食店の通りがある。
その一つに芝居小屋「天満座」がある通りがあり、その前に行列ができている店があった。
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 看板に山系無双「R火」とあり、山形地方のラーメンを食べさせてくれる店のようである。
予備知識は全くないが、とりあえず並んでみた。
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 待っている間に店の入り口付近の品書きを眺めてみた。
魚介系スープのラーメンである。
これは期待が持てる。
 更に「ひっぱりまぜそば」の紹介チラシも貼られている。
「ひっぱりまぜそば」とは、山形の村山地方の郷土料理である「ひっぱりうどん」のアレンジだそうである。
 まったく知らない料理なので、その場で調べてみた。
うどんの乾麺を湯で戻し、アツアツのまま納豆や鯖缶を混ぜたつけ汁に浸して食べる料理とのことである。
うどん麺を鍋から引っ張り上げることから「ひっぱりうどん」との名付けである。
 そのラーメン版だから、美味そうな気がする。
更に、ひっぱりまぜそばの掲示には、納豆や鯖の苦手な方はご遠慮下さいともある。
 順番が来て店内に案内された。
入口で食券を購入せよとのことである。
全体メニューも見ていないのに決めろとは、結構わがままな店である。
他のラーメンも見たかったが、仕方ないので「ひっぱり・・・」を選んだのであった。
 店内は14~5人くらいのL字カウンターだけの店である。
玄関の造作に比べて店内が狭かったのは、以外ではあった。
 待つこと5分位か?
ひっぱりまぜそばと小さな茶碗に入れられた白ご飯が出された。
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ラーメン鉢一杯に生卵、白葱、キザミ海苔、それに加えて塊りで左からひき割り納豆、鯖の和え物、辛味噌が乗せられている。

 さて頂いてみようと思うが、どのようにして食べたら良いのか分からない。
「ひっぱり」だから、具の下から麺を引っ張り上げること、「まぜ」は具を絡めて食べる、そのようにしたら良いのではと、麺を摘まんでは具を絡めながら食べてみた。それぞれの具の味がそれなりにするが、底に沈んでいる麺に絡まった魚介出汁の濃厚な味には負ける。
これなら魚介スープのラーメンにした方が良かった、と反省した次第であった。
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 ついでであるから、庄内駅の周辺を見てみよう。
 庄内駅から南西の方向7~800mの所に庄内神社がという氏神が鎮座している。
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綺麗に整備された神社で、元々は島江稲荷神社の地であったが、明治の終わりごろの勅令により庄内7村の神社が合祀された現在に至っている。

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 そのため、祭神は多い。
稲荷神の保食神、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、八幡神の応神天皇、神功皇后、稜威天王社の稜威雄走神(いつのおはばりのかみ)、八坂社の素盞嗚尊を祭神としている。
 また境内社の大黒社には 少彦名命、大己貴命、天照大神、住吉大神 が祀られ、恵比須社には蛭子命、事代主神が祀られていて、多くの神々が集合している神社である。
 庄内神社からやはり7~800m西の庄本地区に椋橋総社という神社が鎮座している。
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 この神社には神代に素盞鳴尊が高天原より鯉に乗り、神前の水門を経て、降りて来たとの伝えがある。
また、神功皇后が三韓征伐に出掛ける時、この神社の神庭に付近の神々を集め、戦勝を祈願したとも云われている。
 更に奈良時代には、僧行基がこの地を訪れた時、住民達が近くの猪名川に橋を掛けようとしたが、上手くいかず困り果てていた時、川の鯉たちが背中を合せ橋の代わりをしたとの伝説がある。
以来、この地区では鯉を捕ったり、これを食べることを禁じ、その風習は現在でも続けられているとのことである。
 これで庄内地区を斜め横断したことになる。
もうこの辺りは阪急神戸線の沿線である。
 冒頭の藤田まことの「十三の夜」の唄では、
『♪園田離れて~ 神崎(川)過ぎりゃ~ 恋いの花咲く十三よ~ ・・・』
となっている如く、園田駅か神崎川駅が最寄りである。
 さてどうしようか? と考えていたが、近くにバス停があり園田駅行きとのことであった。
暫くの間バスを待って、園田駅に帰還した途中下車であった。