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 新大阪駅で乗換することは良くあるが、途中下車することはめったにない。
例え昼のタイミングであっても、駅中の食事処で適当に済まして、新幹線に乗り継いだりするのが日常である。
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 今回は少し時間の余裕があったので、食事と共に途中下車することにした。
食事は駅中の立ち食いうどんの店「NWそば」で手早く済ますことにし、その店へ行った。
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 表でメニューを見てみると「たこ焼きうどん」というのがあった。
大阪でなので何にでもたこ焼きを入れるとは聞いていたが、麺類へのたこ焼きは初めてのお目見えである。
 入口カウンターの店員さんにそのたこ焼きうどんを注文し、代金を支払ったのであった。
注文したとたんにマイクで調理場に料理名が流れる。
機械の券売機では無く、人間券売機である。
この方が効率的なのであろう。昔からこのシステムである。
 しかし店内は最近に改装したらしく、かつては立ち席だけであったが、今は椅子席もできている。
座って食べることができるのは、何か得した気分である。
 暫く待って呼ばれたので、うどんを受け取りに行った。
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 うどんには5個のたこ焼きが乗っている。
そしてミツバも少々、いろどりである。
 さて、頂いてみよう。
 たこ焼きをうどんの出汁に浸して食べてみた。
明石焼きの食べ方に似ている。
大阪のたこ焼きはこのような食べ方はしないので、マッタリした別の味となる。
 明石焼きを食べながら、うどんを食べるというような形になる。
小麦の加工品同士であるので、そんなにインパクトはない。
しかし、ミツバのアクセントが効いているし、たこ焼きには若干のカリカリ感もある。
合わせるとそれなりに味わい深いものであり、最後まで美味しく頂いたのであった。
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 途中下車であるので先ずは駅の改札を出ることにする。
そして東方向に向かって少し行くと綺麗な神社がある。
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「中島惣社」と云う。

 この神社は、元々は飛鳥時代の孝徳天皇の豊崎宮(前期難波宮とも云う)への遷宮により創建されたものである。
場所は上町台地であったが、難波宮が廃された後、いつの時代にか現在の場所に遷されたものである。
戦国時代にはこの場所に遷っていたとのことで、大坂の陣の時は茨木城主片桐且元により焼かれたと伝えられている。
 その後、近隣の神社の祭神を合祀し、多くの神が集まった惣社として、現在の形となっている。
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 もう少し東へと行ってみる。
大きな寺院がある。
阪急電車の駅名でも知られる「崇禅寺(そうぜんじ)」である。
 寺門脇の石碑には、「摂津県 豊崎県 県庁所在地跡」と書かれている。
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奈良時代に創建された寺で、元々は法相宗であった。

 この寺は長い歴史の中にあるので、多くの話が伝わっている。
 先ずは、足利将軍第6代の足利義教(よしのり)の暗殺事件である。
京にて赤松満祐に殺害された義教の首は、播磨に引き上げる赤松氏軍勢によってこの寺に放置されたと云われる。
この地の管領の細川持賢(もちかね)は義教の墓を建て、この寺に伽藍と所領を寄付し、そして曹洞宗に改宗させ、細川氏菩提寺の一つとしたとの経緯がある。
 細川氏の菩提寺と云うことで、今度は関ヶ原の前哨戦に関わる。
 大坂の細川屋敷にいた細川ガラシャが石田三成の軍に襲われたことがある。
その時ガラシャは自らを家臣に殺させ、屋敷に火を掛けた。
その後宣教師のオルガンチーノが、ガラシャを始め家臣の遺体をこの寺に運び、葬ったと云われている。
この寺には、義教の墓に連なり、ガラシャと家臣の墓が今も守られている。
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 尚、崇禅寺の伽藍は戦国時代に戦火で焼失した。
江戸時代になって再建されたが、先の大阪大空襲で悉く焼失し、平成になって再建されたとのことである。
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 新大阪駅の東部の駆け足ミニ旅であったが、深い歴史の流れを感じたのであった。