1
阪急電車梅田駅で下車し、駅からその東側にある地下に降りてみた。
そこはホワイティ―うめだノースモールという地下街である。
地上への出口には、阪急三番街だとか、HEP FIVE、HEP NAVIO、阪急グランドビルなどの案内板がある中を、南の地下街の中心地へと向かった。
そこはホワイティ―うめだノースモールという地下街である。
地上への出口には、阪急三番街だとか、HEP FIVE、HEP NAVIO、阪急グランドビルなどの案内板がある中を、南の地下街の中心地へと向かった。
そろそろ中心地に出るかな? と思ったころ右手に「名古屋名食 味噌煮込みうどん きしめん」と書かれた暖簾が出ている店があった。
店の名は「AMN」という。
丁度、昼時であったので久しぶりの名古屋飯にと、入ってみた。
店の名は「AMN」という。
丁度、昼時であったので久しぶりの名古屋飯にと、入ってみた。
カウンターとテーブルを合わせて20人ぐらいの店である。
カウンターに腰掛けて、先ずはメニューを眺めてみる。
メニューを眺めながら店員嬢を待った。
そして注文を「きつねきしめん」と決めたところへ店員嬢がやってきた。
「お昼ですので、炊き込みご飯が付きますけど…」
「じゃあ、お願いします」
と料理待ちとなった。
「お昼ですので、炊き込みご飯が付きますけど…」
「じゃあ、お願いします」
と料理待ちとなった。
カウンターの中では、先客の味噌煮込みうどんを煮ているようである。
いい匂いがするが、今回はきしめんで我慢しよう。
いい匂いがするが、今回はきしめんで我慢しよう。
きしめんが出てきた。
出汁は薄めに見える。
トッピングは、炊いた油揚げ、蒲鉾、今まで見たこともない細いえのき茸、刻み青ネギである。
トッピングは、炊いた油揚げ、蒲鉾、今まで見たこともない細いえのき茸、刻み青ネギである。
さて頂いてみよう。
出汁は、見た目通り関西風である。
揚げが乗っているので、少し甘めになっている。
それはそれで安心して食べることができる。
揚げが乗っているので、少し甘めになっている。
それはそれで安心して食べることができる。
次は麺である。
ここの麺は、表面がツルツルである。
熟成した麺かも知れない。
厚さが薄い麺であるのに少しの噛み応えがある。
麺に出汁が浸透してしまうのを防止する策を講じているのかも知れないが、良くは分からない。
ここの麺は、表面がツルツルである。
熟成した麺かも知れない。
厚さが薄い麺であるのに少しの噛み応えがある。
麺に出汁が浸透してしまうのを防止する策を講じているのかも知れないが、良くは分からない。
2
炊き込みご飯も薄味であるが、メインはきしめんなので邪魔をせず、これくらいが丁度良い。
と、なんのかんのと言いながら、久しぶりのきしめんを完食したのであった。
かつては名古屋駅ホームできしめんを慌ただしく掻きこんだことが何回かあるが、落ち着いて食べることが出来、初めてきしめんを味わった感覚になったのであった。
さて、付近の探索である。
地下街の中心地から東方向に上がると、阪急東通り商店街である。
この商店街を東へ進み、少し北に入った所に「綱敷天神社」が鎮座する。
この近くでは、南方向に曾根崎天満宮、いわゆるお初天神が鎮座していて、良く知られているが、ほぼ同じような距離の所にある。
地下街の中心地から東方向に上がると、阪急東通り商店街である。
この商店街を東へ進み、少し北に入った所に「綱敷天神社」が鎮座する。
この近くでは、南方向に曾根崎天満宮、いわゆるお初天神が鎮座していて、良く知られているが、ほぼ同じような距離の所にある。
綱敷天満宮は、元々、嵯峨天皇がこの地に行幸した時に一夜を過ごした所とされ、天皇の死後に皇子であり、源氏物語の光源氏のモデルと云われる源融(とおる)が天皇を偲び神野神社を祀ったのが始まりである。
道真公が大宰府に左遷されたとき、この地に船を着けこの神社に参ったと云われる。
その時、紅梅があまりにも美しかったので、船の艫綱(ともづな)を円形に巻き上げ、伴の者と座して花を賞賛したと云う謂れがある。
その時、紅梅があまりにも美しかったので、船の艫綱(ともづな)を円形に巻き上げ、伴の者と座して花を賞賛したと云う謂れがある。
そして伴の者数名にこの地に残る様に伝え、道真公は西に向け旅立ったと云われる。
道真公が大宰府で死去という報を受けた部下たちは、紅梅の下に小さな祠を建て、梅塚天満宮と称し、道真公を祀ったと云われる。
その後、神野神社と合祀となり、綱敷天神社の社殿を建立したという経緯がある。
その後、神野神社と合祀となり、綱敷天神社の社殿を建立したという経緯がある。
境内は都会地であるので、そう広くはないが、神牛はもちろんのこと、筆塚、歌碑なども祀られている。