1
 味噌カツ丼というカツ丼がある。
主として名古屋で食べられているものであるが、大阪でも提供する店が増えてきている。
 実は大阪で良く昼飯にカツ丼を食べに行く「M太鼓」と云う店がある。
イメージ 1

この間訪れた時に、ここでも味噌カツ丼を提供しているのを発見した。

 味噌カツ丼と云っても色んな種類がある。
以前社食で食べた味噌カツ丼は、練り固めた八丁味噌をカツの上に乗せていた。
ここはどうなのであろうか?
 M太鼓はカウンターだけの30席位の店である。
席について早速、味噌カツ丼を注文したのであった。
イメージ 2
 ご飯とカツがセパレートになっている。
そしてカツの器には半熟の目玉焼きが乗っている。
とにかく、ご飯の上に全てを乗せるのが先決である。
 綺麗には乗せられないが、何とか乗せることが出来た。
気になるのは味噌の味であるが、さあ頂いてみよう。
 味噌味は、八丁味噌だけの味ではない。
幾つかの味噌をブレンドしているようである。
しかし味噌味であるのは間違いがない。
 味噌の香りを楽しみながら、最後まで頂いたのであった。
 この店、基本の卵とじカツ丼は当然のことながら、他にもソースカツ丼やら親子丼やらがある。
さらにチーズカツ丼やおろしカツ丼、そしてトマトカツ丼まで、殆どのカツ丼メニューを網羅しているのは見事である。
また、乗せるカツにはシングルとダブルがある。
腹の空き具合により、対応できる店でもある。
                2
 さて、この店は大阪駅前第2ビルの地下にある。
隣が第3ビルでその向こうは南北の御堂筋と東西の国道1、2号線との交差点である。
 その御堂筋の向こうに通称お初天神、露天神社が鎮座する。
イメージ 3
 イメージ 5
 露天神と云う名の起こりは、菅原道真公に由来する。
道真公が太宰府へ左遷される途中、ここで都を偲んで涙を流し、歌を詠んだことから名付けられた。
その歌は「露と散る 涙に袖は 朽ちにけり 都のことを 思い出ずれば」であった。
 お初天神の名の起こりは、近松門左衛門の浄瑠璃「曾根崎心中」に起因する。
「曾根崎心中」は、元禄のころに起こった実話に基づくドラマである。
堂島新地の天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が、借金に詰り、新地から逃避行を続けた。
そして現在の大阪駅の北側を迂回し、この神社の「天神の森」で心中した事件を元にしている。
イメージ 4
 近松の名調子はかくの如しである。
  「この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば、
あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ
あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、
鐘の響きの聞き納め、
寂滅為楽(仏教で言う、涅槃、さとりの境地)と響くなり・・」
 この浄瑠璃、上演した当時大評判となり、この神社にも多くの参拝客が訪れたとのことである。
 しかしながら、心中を真似る者達が出て来たので、世の中を不穏に導くものとして、幕府は近松の浄瑠璃の上演禁止を出したのであった。
 露天神社には古いものばかりではない。
良い話ではないが、神社の神柱に太平洋戦争の時の米機グラマンの機銃掃射による傷痕が残っている。
イメージ 6
 戦争を忘れてはいけないという証しでもある。