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 奈良県の国立公園である吉野山は桜の名所として知られる。
吉野山の桜は、下千本、中千本、上千本、奥千本と2~3週間かけて順番に咲いて行く。
 しかし、ここの桜は江戸末期に江戸染井村の園芸師によって交配されたソメイヨシノではない。
シロヤマザクラと云う品種である。
桜は吉野に鎮座する蔵王権現の神木であるとされ、平安時代から植え続けられ、現在では約3万本にも達すると云われる。
 桜の時期の吉野山は大変な人出である。
その時期になる前に静かに神社仏閣を見学するのもまた一方法である。
 近鉄吉野駅で下車し、ロープウエイに乗って吉野の街中へ向かった。
尚このロープウエイは我が国最古の建造でまだまだ現役でもある。
 電車の中もロープウエイの客もまばらである。
のんびりした雰囲気で向うことができる。
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 ロープウエイを降りて街道を登って行くと、先ずは金峯山寺(きんぷせんじ)の総門である黒門を潜る。
道の両側には土産物屋やら旅館が並んでいる。
更に登ると「銅の鳥居(かねのとりい)」に達する。
金峯山寺の鳥居で、重要文化財である。
元々は奈良時代に大仏建立の際に余った銅で造られたと云われるが、北朝方の高師直に攻められ焼かれ、その後室町時代に再建されたものである。
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 銅の鳥居を過ぎ少し登ると世界遺産金峯山寺の仁王門に達する。
この仁王門は国宝であるが、修理予定とのことであり、下部が工事用の外装材で覆われている。
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仁王門を潜ると広い境内に出る。
北条軍に攻められた護良親王が落城前に最後の酒宴を催したところとされ、4本の桜で囲まれている。
その向こうに本堂の国宝蔵王堂が雄大な姿を構えている。
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 仁王門と蔵王堂は背中合わせに建っているのは珍しい配置である。
これは、熊野から吉野への巡礼者とその反対方向の巡礼者の両方に配慮したものと云われる。
 蔵王堂は高さ30数m、奥行・幅共30数mの大きさとのことである。
古代の木造建築としては東大寺大仏殿に次ぐ規模を持つものでだそうである。
 そして堂内の主柱は原木の曲がりを残した自然木に近い柱を使っているとのことであった。
お参りし、ご朱印を頂き、少し話を聞いて見たのであった。
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 尚、この蔵王堂も戦火に合っている。
現在の建物は秀吉の時代に豊臣家の寄進で再建されたとのことである。
 金峯山寺にお参りしたところで、昼としよう。
仁王門と逆側の石段を降りたところに「HK」と云う食事処があった。
表でメニュー看板を眺めてみると、「葛うどん」という聞き慣れないものがある。
 葛は吉野の特産である。
吉野へ来たからには食べてみないと…、と店内にお邪魔した。
 シーズンが外れているので、客はちらほら…。
接客対応の店員嬢に、葛うどんと注文したのであった。
 暫く待って、料理が出された。
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葛うどんに加えてきな粉がかけられた葛餅付である。

 さて、頂いてみよう。
麺は小麦粉だけで捏ねられたうどんと違いネットリ・モッチリ感は無い。
ツルツルシコシコ感満載である。
おまけに具は色んな物が乗せられている。
出汁にも葛が入っているのであろう、少しネットリした餡かけ風である。
 全体が上手くマッチしたうどんであった。
うどんを完食し、久しぶりの葛餅も美味しく頂いたのであった。
 もう一ヶ所ぐらい訪問してみよう。
奥へ向けての道を歩くと、左手に吉水神社の鳥居が建っている。
この神社も世界遺産である。
元々は金峯山寺の僧坊吉水院(きっすいいん)であったが、明治の廃仏毀釈で神社となったものである。

それだけではない。
この神社の書院には源義経が潜伏したこと、南朝の皇居の後醍醐天皇の御座所になったことが良く知られている。

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また、豊臣秀吉の吉野の花見で本陣となった所でもある。

 桜シーズンでないので何とも言えないが、この神社から見た吉野の山は「一目千本」と云われる。
やはり、吉野は桜のシーズンに来ないと、楽しさは半減であると感じた次第であった。