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 春は桜の季節であることは言うまでもないが、食材にも春らしいものが揃ってくる。
その一は何と云っても筍であろう。
京都山城と云えば筍の里、道端や観光地などでは臨時店舗が設えられ、瑞々しい朝掘り筍が並び、確実に春になったという季節感を誘う。
 京都南部に長岡京市と云うところがある。
市名は平城京から平安京に移行する10年間の間、桓武天皇の手によって長岡京が設置されたが、その京域がこの地域にも広がっていたことにに因んで付けられている。
それはそれとして、ここは竹藪が美しい筍の里として良く知られているところである。
 長岡京には筍を主体にした懐石料理の店がいくつかあるが、スーパーの筍の20~30本の値段で提供されている。
B級グルメファンの小生としては敷居が高くて、寄りつくこともままならない。どのような筍が食べられるだろうか? とにかく長岡京に行って見よう。
所用の後、長岡京市まで足を延ばしてみた。

 JR長岡京駅に到着したのは昼過ぎである。
駅前を探すが、筍の「た」の字もない。
せっかく来たのだから諦めるわけにはいかない。
この様子ならば、長岡天神の境内に離接している「KST]まで行かないといけないかと思いながら、駅近を南北に通る旧西国街道を歩いてみた。
 旧の西国街道の道路はカラー舗装されていて、それなりの雰囲気を醸し出している。
入口に「商店街」とのアーチがあるのに、食事処やその他の店もあまり見られない。少し行ったところに旧町屋をそのまま利用した「神足ふれあい町屋」と云うのが見つかった。
食事処もあるようである。
表にメニューが出ている。

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あったあった…。
期待通り筍を具にした山菜蕎麦が見つかった。
早速、暖簾をくぐって中に入った。この町屋は築160年の国の登録有形文化財である。
旧石田家住宅と云う。
長岡京市が市の資産として買い取り、文化サロンとして運営しているものである。

そしてその運営は、この地域の障害者事業協会がしているとの説明があった。
勿論中にある食事処もその運営である。
能書きによると、
『サービスをとおした障害者雇用・就労および実習の場であり、業務の習得と生活自立を支援し ています』
と云うことで、全く賛成である。
 山菜蕎麦を注文した。
「時間掛かってもいいですか?」
の問いかけがあり、
「いいよいいよ」
と答えて、暫く待った。
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 出てきた。
通常の山菜に加えて、大きな筍がのっている。
期待通りである。
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 早速、頂こう…。
出汁は優しい味である。
京都で云うところの「まったり」という感じか…。
麺は信州蕎麦系の白いもので、好きな麺である。
 筍は、シャキシャキして美味しい。
他の山菜も食べながら、筍と蕎麦を頂き、満足したのであった。
 せっかく長岡京まで来たのだから、後は長岡天満宮を見てこよう。
歩いて少しかかるが、お腹も大きくなったし、元気が出たのであった。
 参道天神通りを歩き始めた。
途中には筍を販売するこの季節だけの店舗が数か所見られる。
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 20分程度も歩いただろうか、石の鳥居に到着し、石段を登り境内に入った。
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大きな「八条ヶ池」の周りの桜は満開を過ぎているようだが、遠目には綺麗に見える。
また池の上には、水上橋と云う木製の遊歩橋が設けられているのも珍しい。

 池を過ぎ石段を登り本殿にお参りし、ご朱印を頂いたのであった。
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この長岡天満宮は他の天満宮とは創建の経緯が異なる。
この地は元々は菅原家の領地であった。
道真が元気なころは、在原業平らとともに詩歌や管弦を楽しんだところである。
 道真が大宰府へ左遷される時、この場所に立ち寄り、
 「我が魂長くこの地にとどまるべし」
と名残を惜しみ、その後淀川を下って行ったと云われている。
 大宰府へ同行した菅原氏の一族である中小路宗則は、道真の死後に道真の自作の像と念持仏を持ち帰り、祠を建てて祀ったのがこの天満宮の創建であると云われている。
皇室の崇敬も厚く、桂離宮を造営した八条宮智仁親王によって後年「八条ヶ池」も築造されている。
 しかし、明治の時代に社領は大部分召し上げられ、当初の10万余坪から、現在の2万坪になっている。
季節にはキリシマツツジが真っ赤に色付くことでも良く知られている。
天満宮を後に、駅に戻ったのであった。
 長岡京のミニ旅、筍の味わいと道真を偲ぶ旅であった。