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 大阪地下鉄の東梅田駅を降りて、地下街を東方向に歩いた終点に泉の広場がある。
行き止まりであるが、そこから地上へ出て暫く行くと、平安時代初期に創建された太融寺という新西国三十三ヶ所の札所の寺院がある。
この寺は嵯峨源氏の祖で左大臣大納言の源融(みなもとのとおる)ゆかりの寺としても知られている。
 その太融寺の寺門前の通りを一区画東に行ったところに「SZM」という小料理屋風の店構えがある。
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店前の看板には、「大阪でここだけ、瓦そばが食べられる店、・・・」とある。
瓦そばは山口県の名物料理である。

昼時でもあったので、今回はここで昼にしようと引き戸を開けて店内に入った。
テーブル1つと、10席ぐらいのカウンターの小さな店である。
先客で3分の1程度が埋まっている。

まずはカウンターに落ち着いて、メニューを眺めてみた。
瓦そばのバリエーションだけではない。
フライやら酢豚やら果てはラーメンまで、和洋中取り混ぜ色んな料理が楽しめる店のようである。

 しかし迷わず瓦そばをカウンター嬢に発注したのであった。
 カウンターの向こうにコンロがある。
一つは先客のフライを揚げている。
もう一つに鉄板を乗せ、緑色の油を絡めた茶そばを乗せ焼き始めた。
普通の焼きそばならばコテで麺を返したりするのだが、その様子はない。
そのままの状態で、5分ぐらい置きっぱなしであった。
この理由は後で分かるのであるが…。
 頃合いを見て今度は瓦を温めている。
温まったかと思うと瓦を大きな板に乗せ、瓦の上に先ほどの茶そばを乗せ、さらにその上にトッピン
グの錦糸卵、こま切れ牛肉の煮つけ、刻み葱、そして刻み海苔を載せ更に輪切りレモンとその上にもみ
じおろしを乗せ完成である。
大きな板に乗せたまま、付け汁と共にカウンターに出されたのであった。
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「レモンとおろしを入れて召し上がり下さい。お好みで唐辛子も…」
の、案内もあった。

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 さて、頂いてみよう。
 そば麺とトッピングを混ぜながら食べる。
茶そばは少しの甘味があり、付け汁のレモンの酸味ともみじおろしの辛味とよく合う。
そして焦げ目のある部分はパリパリとした食感である。
また焦げ目の無いところは柔らかいそばの感覚である。
この2つの味が交互に楽しめることは嬉しい。
 そばを乗せている瓦は石州瓦で本物である。
そばを食べている間中は冷めない。
従って、そばも冷めず、最後まで美味しく頂けたのであった。
 帰りがけにカウンター嬢にこれらのことを話した。
「また、お越しください。今日は主人が居なくてすみません。お話は伝えておきます」
とのことであった。聞くところによると、ご主人は山口の小野田の出身の女性で、瓦そばを自分の感覚で改良して、納得

の上で出しているそうである。
確かにこの味は今までに経験したことが無い美味い味であった。
 さて、先ほどパスした太融寺を訪れてみる。
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太融寺の境内の片隅に、戦国を生きた豊臣秀頼の母、淀殿の墓がある。
既に何回も訪れているが、今年は大坂の陣から数えて丁度400年目にあたる。

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 大坂城が落城したのは旧暦で5月7日、そして淀殿と秀頼が自刃したのは翌8日の未明である。
天守の北側直下で、森を演出した山里曲輪の中であった。
 淀殿は、北近江の小谷城、越前の北ノ庄城と2度の敗戦落城の憂き目に合い、この大坂城の落城が3
度目である。
あれこれと批評される女性であるが、その心情は如何ばかりのものであったろうか?