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 JR大阪環状線に大阪駅から内回りで3駅目に「西九条」という駅がある。
 ユニバーサルスタジオに行くゆめ先線への乗換駅として良く知られているが、阪神電車に乗り換える時は駅同士が立体交差していて便利であるので時々利用する。
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 丁度昼時であったので、何か食べてみようと探してみた。
 阪神駅に続くような形で、うどん屋さんがある。
  「SH」と云う。
 店の表には沢山のメニューが並べられていて、かけそば、かけうどんは190円と、うどん県香川の讃岐うどん並みに値段が安い。
 店に入ってから考えようと入ってみた。
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 店内にも沢山のメニューが掲示されている。
 紙一枚「黄そば190」と貼られているのを見つけた。
 中華そば麺をうどんだしで食べるものであろう。
 昔、そばと云って食べてた、あの懐かしい黄色の蕎麦かな?
「きいそばお願いします。昆布で…」
 と注文した。
 出てきた、出てきた…、和風のうどんだしに黄色い麺が覗いている。
 ラーメンでもないし、蕎麦でも無い…。
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 食べてみた。
 昔に食べたあの麺の感覚である。
 出汁は少し辛めであるが、何とも食感が良い。
 シャキシャキとしたあの懐かしい味である。
 都会に出るまでいた田舎でのこと…。
 そばと云えば、黄色い麺を指していた。
 食堂で「そば」と注文すれば、黄色い麺が出てきた。
 今で言う蕎麦は、黒蕎麦と云って、食べたことはなかった。
 黄色い麺の中華風の味付けは、中華そばと云っていた。
 高校の学食でも、そばと云えば黄色い中華麺であった。
 先を争うようにカウンターに群がって手に入れ、食べたものである。
 今は時代変わって「きい(黄)そば」という。
 単にそばと云う場合は、黒そばのことを指すようになってしまった。
 田舎でも黒蕎麦を食べ始めたのは、大晦日の年越しそばの習慣が伝わってからであった。
 大晦日には、食料品店に黒い蕎麦玉が並ぶようになった。
 全国の文化を画一化して止まないテレビの影響であろう。
 それにしても、久しぶりの「きいそば」は美味かった。
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 西九条で思い出したが、かなり前に入社してきた新人S君に「何処に住んでるの?」と聞いたことがある。
 答えは「西区九条…」
 「西九条か…」と安易に云ってしまった。
 しかし突然「西区九条です。西九条とは違う」と強い語調で云われ、何のことかわからず、一瞬戸惑ったと云う記憶がある。
 当時は大阪の西部の辺りのことは良くは知らなかったが、そのうち西九条は此花区で、西区の九条とは異なる地域であると分かったのである。
 この2つの地域が隣り合わせであることから九条と云う地域の分割であろうと思い、調べてみた。
 するとこの地域を隔てている安治川に関係すると分かったのであった。
 大川(旧淀川)が堂島川と土佐堀川に分かれ、また合流して大阪湾に注ぐが、当時はその河口に三角州である九条島という島が川を塞ぐように横たわっていて水運・治水に大いに問題があった。
 江戸時代の初めに土木技術者河村瑞賢安治(ずいけんやすはる)が九条島の中に川を開削し、流れを通した。
 その結果、九条は分割され、川の西側は西九条と呼ばれるようになった。
 そして川は瑞賢に因み安治川(あじがわ)と云われるようになった。
 旧河川の部分は埋め立てられ新田開発がなされたが、明治以降は工業地帯へと変わっていた。
 それが現在の九条と西九条である。
 少し時間の余裕があったので、駅の周りを探索してみる。
 先ずは線路沿いに東北方向へ行ってみる。
 暫く行くと「西九条神社」が住宅街の中にある。
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 元々は九条にある「茨住吉神社」の行宮であり、お渡りもあったが、戦後独立し西九条神社となった神社である。
 神社を後して安治川方向へ行く。
 安治川べりに出たが、護岸壁が高くて川を眺めることができない。
 暫くは安治川右岸に沿って下る。
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 大きな交差点に出る。
 その上には阪神電車のなんば線が通っている。
 その高架線路の下の川縁に古い建物がある。
 エレベーターがあり、自転車族が出て来たと思えば、こちらからも乗り込んでいる。
 「安治川トンネル(北)」とある。
 なるほど、安治川の向こうへ行けるのか?
 早速次のタイミングでエレベーターに乗り込んだのであった。
 地下へ降りるとトンネルがある。
 綺麗なトンネルである。
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 真ん中あたりまで来た所で、余りゆっくりしていられないことに気づき引き返す。
 この安治川トンネルの場所は、元々、安治川の源兵衛渡しがあった場所である。
 渡しは川を横切るので、頻繁に行き交う運搬船を避けて航行するのが難しくなってきていた。
 そこで昭和初期に計画されたのがこのトンネルである。
 日本初の沈埋工法によって建設され、当初は自動車も通行出来たとのことであるが、今は歩行者・自転車のみとなっている。
 トンネルは川面から14m下にあり、幅約2m、長さ約80mである。
 トンネルを後に、阪神なんば線の新しい高架脚に沿った道を西九条駅まで戻り、今度は阪神西九条駅から電車に乗り、西九条の昼食&探索は終了となったのであった。