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大阪の北部、高槻市には中心駅が2駅ある。
JR東海道線の高槻駅と阪急電車の高槻市駅である。
今回、阪急駅で途中下車し、昼処を探した。
 駅前には沢山の食事処がある。
その通りを抜けると、かつての西国街道に沿った西宮市と京都市を結ぶ国道171号線(通称「いないち」)が通っている。
その171号線に、枚方市方面から淀川を越えて北上する大阪外環状線国道170号線がT字交差している。
170号線はかつての東高野街道に沿った国道である。
 その交差点から170号線を少し南へ下った所の右手に、尾道らーめんという大きな看板ではあるが小振りの店がある。
「尾道らーめん十八番」と云う名前である。
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確か本場尾道市にも同名の店があった。
チェーン店かな?と期待を込め、入ってみた。

 入ってみると、店はカウンター10席ほどの店である。
カウンター向こうの調理場では、若い大将が一人で先客のラーメンを作っているようである。
手が離せないようで、「御注文は、後程聞きます」との声。
暫く待つことになった。
 先客のラーメンが出来上がった。
カウンター越しに出して、「お待たせしました。ご注文は?」と、順番が回ってきた。
「基本の尾道らーめんで…」と答え、暫く待つことになった。
 麺をゆで始め、ラーメン鉢を温め始めた。
手さばき良し、よりも丁寧な仕事であり、期待が持てる。
 その間に2人連れの客が入ってきた。
同じように、注文は後程…、と云いながら仕事に余念がない。
 5分ぐらいして出来上がった。
「味の濃い薄いは言ってください」とラーメンが出されたのであった。
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 醤油や魚介の匂いと共に背油が浮べられている。
白髪ネギと青ネギ、そしてメンマと焼豚である。
焼豚は1枚であるが、10cm位の小判型である。しかも厚い。
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 さて頂いてみよう。
スープは京都や大阪のラーメンに慣れている舌にとっては濃いめである。
麺は中くらいの太さで、背油がまとわりつくように工夫されているようである。
スープ、麺、具と交互に頂きながら、たちまちのうちに完食したのであった。
 代金を払う段になると大将がレジまで出て来てくれる。
話しかける時はこの時しかない。
 聞いて見た。
「尾道の十八番と関係あるの?」
「ありません。向こうはラーメンがカタカナで、うちはひらがなです。店は七年やってます。実は前に尾道ラーメンを食べた時、こんなもんだったら私の方が美味いラーメンを作ってやる、とのことで始め、今に至ってます」
「美味しかったです。ご馳走さん」
と言って店を出たのであった。
 さて、ここは高槻城の東側である。
そして高槻城と云えば、キリシタン大名の高山右近である。

 腹ごなしに城跡まで歩いてみた。

城跡は現在は公園となって綺麗に整備されている。

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高山右近の像も立っている。

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 信長・秀吉の家臣として高山右近は高槻城主を10年程度務めたが、その後明石の船上(ふなげ)城城主を始め、各地を転々とし、金沢城の改築の縄張りもしたと云われる。
 しかしながら大坂の陣の直前に、江戸幕府の命令でマニラに追放され、そこで熱病で亡くなったのであった。
その後は、高槻城には徳川大名が入れ替わり立ち替わりしたが、最後は永井氏で落ち着き、明治を迎えている。
 しかし、高槻市民の目線では、高槻の殿様と云えば、江戸幕府派遣のお仕着せ城主よりも、大阪人であり、また悲運の城主であった右近の方が好まれているのは間違いがないのでは、と思われる。