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 JR山陰線に倉吉と云う駅がある。
ここで途中下車し、駅からバスで15分ぐらい行ったところに、江戸時代の町並みを保存している重要伝統的建造物群保存地区がある。
「打吹玉川」の赤瓦と白壁の建物群である。
 倉吉は因幡の国の東端の鳥取市と、伯耆の国の西端の米子市とのほぼ中間辺りである。
江戸時代は鳥取藩家老荒尾氏の城下町であり、町は今もその成り立ちを留めている。
 赤瓦の建物群は10数ヶ所存在する。
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 小川の様な玉川沿いと、その南側の通りに集積しているので、見学にはそう多くの時間を要するものではない。
当時は醤油の醸造元や酒元が力を持っていたのであろう。
立派な蔵や町屋が今も守られている。
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そして明治大正時代になって両替商が銀行と名を変え、当時の近代的な建物を建てている姿が見られる。

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 少しの間江戸や明治の雰囲気を楽しんだ後、昼になった。
お腹もレトロな食べ物を求めている。

案内図を見てみると幾つかの蕎麦屋があるようである。
土蔵を改装した店、町屋を改装した店などである。

 再び街中を歩いて見る。
休日しか営業しないと云う蔵元がやっているそばの店が見つかった。
酒元の名は「高田酒造」、そばの店は「HWD屋」と云う。
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 酒屋の引き戸を開けて入ってみる。
酒の店舗である。
横に女将さんであろうか?「蕎麦ですか?」の問いかけに、「はい!」と答え、横の開き戸の向こうに案内された。
 入ってみると3テーブルのみ。
幸いなことに一つが開いていた。
「御注文が決まれば、合図して下さい」
暫くメニューを眺めることになった。
 結論は「釜揚げそば」、そばの味が一番わかるのでは? と注文したのであった。
 待つこと5分ぐらいか? 釜揚げそばが出されたのであった。
関西ではあまりない信州そばに似た蕎麦と、出汁と薬味である。
湯気が立っている。
それにデザートにリンゴ、さあ食べてみよう。
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 比較的柔らかいそばである。
味は関西の黒そばでは無く、信州系のようなさわやかな味である。

しかし釜揚げであるので、時間と共に更に柔らかくなるような気がする。
そう考えると、急いで食べなければ! とペースを上げて完食したのであった。

 やはり冷水でしめたざるそばの方が良かったかな? と思いつつであった。
 店を出てもう一度店の建物を見てみる。
 杉玉を模したフクロウが飾られていた。
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 倉吉では打吹公園が有名である。
変わった名前であるが、太鼓を打ち笛を吹き鳴らすと云うことから来ているらしい。
天女の伝説にて、その天女を呼び戻す行為らしい。

公園に隣接して打吹山がある。
鎌倉室町の時代に打吹城が築城されていたとのことである。

 思い切って登ってみた。
道は整備されていて登りにくいことは無いが、山を捲いているので時間が掛かったのであった。
正面登城道では遺構に値するようなものは殆ど見られない。
石垣の残骸が少々見られる程度であった。
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 頂上でほぼ毎日登っていると云う地元の人に会った。
城と打吹山のことについて色々教えて頂いたが、それはまた別の機会に紹介するとして、倉吉の蕎麦について聞いて見た。
 その結果、蕎麦は倉吉の名産では無いとのことで、残念と云う他ない。
余所から蕎麦粉を仕入れているのだそうである。

その人から「酒屋で蕎麦屋をやっているところがあります。高田酒造ですが…」という話が出た。
「あそこはご主人が蕎麦打ちの趣味があって、仕事の傍ら休日だけ営業しているんです」
「そうですか? 今、行ってきたところです。近くの出雲とは違いますね」
「まあ、倉吉の本業では無いですからね…」
このようなやりとりで終わった。

 今度は城山の頂上から逆側に降りてみた。
堀切や土橋、そして石垣のしっかりした遺構がある。
展望台からは、靄の向こうに大山が微かに見える。

展望台でも勇者に出会った。
何と日本列島縦断2000kmを果たしたと云う強者であった。
日頃の鍛錬に近在の山歩きをしているとのことであった。

 観光地では見られない人生模様に出会い満足した倉吉のミニ旅であった。