1
 広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ「西瀬戸自動車道」通称「しまなみ海道」は本州と四国を結びつける道路であるが、他の2本の本四公団の高速道路とは違って、橋上を自転車や歩行を楽しめる他、各島へ降りることができ、それぞれの名所や食べ物を楽しむことができる。
 名所では、因島の村上水軍城、生口島の耕三寺、大三島の伊予国一ノ宮の大山祗(おおやまなぎ)神社、大島の能島村上水軍の博物館など、有名処が目白押しである。
 あまり騒がれない島は、尾道から一般道路が通じている尾道の街の一部の様な向島、それに大三島と大島の間にある伯方の塩の伯方島であろうか。
 今回しまなみ海道を利用したが、丁度昼時、ごはんと休憩を取ろうと空いていると思われる伯方島で自動車道から降りてみた。
 インターチェンジから少し東へ行ったところに道の駅があった。
マリンオアシスはかたと云う。
レストランは一杯で、順番待ちのシートに名前を書いて、暫く待つことにした。表の幟に「焼豚玉子めし」と書かれている。
今治名物がここでも食べられるかと思うと期待が膨らむ。

 20分ぐらいして名前が呼ばれた。
入ってみると、テーブルが10卓ぐらいである。
日頃は食事をする人が多くは無いのであろう。
そう大きなレストランではない。
 メニューを見てみると、焼豚玉子めしは無い。
接客嬢に聞いて見た。
「あの幟は建物の外にあるフードコートのものなんです。レストランではそれはありません」
 と冷たい答えである。
「何とかそこから引っ張って来るとかできませんか?」
接客嬢は奥へ聞きに行った。
「やはり無理です。済みません」
普通ならここで店を出る所だが、他には食事処のあてはない。
「紛らわしいことは、止めたらどうですか?」
と注意するだけで終わってしまったのであった。
 レストランの窓の外にその幟は建てられているのである。
自分たちの都合だけで商売をしている、いわゆる殿様商売を感じたのであるが…。そうなると伯方の塩に因んだラーメンか、丼ならばしらす丼となる。
ラーメンは何処にでもあるので、海に因んだしらす丼を注文したのであった。

                2
 5分ぐらいして、しらす丼が出てきた。
イメージ 1

生しらすではなく、釜揚げで白くなった大振りのしらすが大量に散りばめられている。
テーブルにしらす丼のタレと云う瓶が置かれている。
少し垂らして、さあ頂いてみよう。

 ご飯の上に胡麻が振り掛けられている。
これが良く合っている。
しらすも新しいのであろうか、臭みが全くない。
刻み大葉と刻み葱と混ぜながら美味しく頂いたのであった。
 多少のトラブルはあったが、お腹も一杯になった。
折角だから島内の観光を少ししてみよう。
 地図で見ると中世の城があった「ふるさと歴史公園」と云うのが伯方港の背後の山の上にあるようである。
道の駅の出口に矢印看板があったのでそれを頼りに出発である。
 伯方港までは直ぐに行くことができた。
しかし伯方港周辺は港町であるので道は細い。
そして案内看板は一つもない。
 迷いに迷った挙句、造船所の向こうの山であることを見出した。
何とか辿りついてラッキーであった。
イメージ 2
 標高100m程度の山頂である。
そこには立派な天守状の城郭が再現されている。
イメージ 3

城郭研究の先生が設計した模擬城とのことである。
この城についての説明は無いが、木浦(きのうら)城と云われている。

当初はこの地の領主紀氏、のちに海賊能島村上氏の城であったのではないかと思われる。
 この付近は弥生時代から古墳時代にかけての遺跡があったそうで、その出土物が城内に展示されている。
展示物はともかく、最上階からの眺めは素晴らしい。
遠く大三島と生口島の間に架かる多々羅大橋の最上部が見えている。
 道の駅は混雑していても、ここまで来る人はまばらである。
館の係の職員さんにアンケートを求められたので書くには書いたが、一言、道々の案内板を増やさないと、ここまで来る道は難しいですね、と云って退出したのであった。
 その後、島の北側の喜多浦八幡神社にお参りし、伯方島を後にしたのであった。