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 全国一の宮巡拝会が定めた一ノ宮のリストで発見した備前国一ノ宮「石上布都魂(いそのかみふつみたま)神社」に参拝した。
 この神社は岡山県赤磐(あかいわ)市の北部、旧吉井町石上地区に鎮座する神社である。
近くを通る鉄道も無く、車で訪問するしか手段は無い。
山陽道山陽インターで高速を降り、市中を南北に流れる砂川に沿って上流へと向かう。
川に沿った県道を遡ること17km約30分、最後は山間の道路から山登りになって、標高約180mの神社の駐車場に到着した。
 神社境内へは、そこから高低差3~40mの参道となる。
神社はそう広くない境内である。
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本殿にお参りし、ご朱印を頂こうと社務所へ伺ったが、神主氏は不在、連絡先が書かれてあったので電話し、帰りに神主氏の居宅へ立ち寄ることにした。

 本殿の横に更に上に登る道があった。
「本宮奥ノ院へ15分」などと書かれている。
ここまで来て引き返すのは、忘れ物をしたようにもなることがあるので、とにかく登ってみることにした。
 参道は整備されているので危険な個所はないが、九十九折りのかなりな急坂である。
ふうふう言いながらやっとのことで、本宮に到着した。
後で地図を見てみると、本宮の場所は標高290mである。
約80mの高さを急登したことになる。
 山頂には祠とその背後に10m幅、高さ2m程度の磐座(いわくら)が祀られている。
古代からこのように磐座が祀られ、それが神社として進化してきた様子がわかる。
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 江戸時代には、ここに幾つかの社殿が建てられていたことの説明もある。
 勿論のこと磐座は禁足地であり、入ることはできない。
祠にお参りし、下山することにした。麓に出る途中に神主氏の居宅に立ち寄り、ご朱印を無事に頂いたのであった。
神主さんは物部さんと云う。
珍しい姓である。
「聖徳太子と争った物部氏のご末裔ですか?」
と聞いて見た。
「江戸時代初め以降の系図は分かるんですが、それ以前ははっきりして無いんです」
と濁しておられたが、恐らくは末裔であろうと推察した。
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 神社の由緒書きによると、この神社は御神体が磐座であるが、素盞嗚尊が八岐大蛇(やまたのおろち)を斬った時、大蛇の尾から出てきた草薙の剣をこの神社に祀ったとされている。
そしてこの剣は、崇神(すじん)天皇の時代に大和国の石上神宮へ移されたとなっている。
 それはそれとして、大和の石上神社は物部氏の氏神である。
同じ物部氏なので、自ずと繋がりがあるのではと推察したのであった。さて、もうすぐ昼である。
赤磐市の中心部で何か食べることにして、その方向へと車を走らせた。
食べ物情報の様子は良くわからないまま、中心街まで出た。
 大きなスーパーの外壁に「すわきKR」と看板が掲げられている。
はて?、どこかで聞いたような…。
信号で待っている内に、岡山県内に10数の店を持つの中華そばチェーン店であることを思い出した。
 そのスーパーの駐車場に車を止め、店内に入り、中華そばの店を探して見つけた。
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 客はまばらにしかいない。
これならゆっくりできそうである。
メニューを眺めたが、例によって基本となる中華そばを注文したのであった。
 5分ぐらい待って中華そばが出された。
豚骨醤油で麺はストレート、焼豚とメンマと葱がのせられている。
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 さて、コショーでも振り掛けようと薬味トレーを見てみると、「揚ニンニク」と云う見慣れない壺があった。
蓋を開けてみると、刻まれたニンニクが油で揚げられているようなものである。
生のニンニクはラーメンによく入れるが、これはどうなんだろう?
とにかく適量振り掛けてみた。
さあ頂いてみよう。
 豚骨醤油スープは少しおとなしい甘めの感じ、京都辺りのラーメンに比べるとインパクトが少ないようである。
スーパーの店なので、ファミリー向けの味付けであろうか?
 しかし食べている内に慣れてくるものである。
更にトッピングとして振り掛けた揚ニンニクの香ばしさとのマッチが絶妙となって来たのであった。
 成る程なるほど、すわき中華そばは揚ニンニクとの相性なのか、と納得し、山陽ICに戻ったのであった。