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 大阪市の大阪城から住吉大社まで連綿と連なる上町台地は、古代は海であった大阪に唯一、南から突き出た半島であった。
古代に、この大阪が開け出したのは、この上町台地に日本最初の官寺四天王寺が聖徳太子によって創建されたことにある。
 四天王寺は当初、現在の大阪城公園の直ぐ南、難波宮跡の直ぐ東の森之宮神社のところに建立されたと云われるが、その後南の現在の天王寺駅の北方に移動した。
また、四天王寺から西方、海に下る坂を逢坂と云い、大阪の地名の起源ともなっている。
 この四天王寺界隈には、戦国時代の石山本願寺と織田信長の石山戦争の拠点が築かれたり、大坂の陣の時には真田の砦や徳川の本陣が設けられ、幾度となく戦乱の舞台となったことは良く知られている。
 大阪市の地下鉄谷町線はこの上町台地の下を走っている。
その谷町線に「四天王寺前夕陽ケ丘」という駅がある。
天王寺駅の一つ北側の駅である。
この駅で下車して、四天王寺を訪ねてみることにした。
 下車して一番近い入口中之門から境内に入る。
元三大師堂、大黒堂や塔頭がある参道を過ぎ、六時堂に向かう。
六時堂は薬師如来、四天王をお祀りする中心的なお堂で重要文化財である。
お堂の前には両側の亀の池の中央に、これも重文の石の舞台がある。
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 お参りを済ませ、左手東に向かうと亀井堂がある。
清水が湧き出る井戸を祀るお堂で、御祈祷済みの木札を流せば極楽往生が叶うと云われている。
 この先は内塀に囲まれた中心伽藍である。
五重塔が見える。
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 中心伽藍は戦後に再建されたもので鉄筋コンクリート造りであるが、創建当時の形をよく伝えていると云われている。

中心伽藍の塀に沿って進み、塀が切れる左手に太子廟がある。
四天王寺には何度も来ているが、この場所は初めてである。
門を潜り大師殿と六角形の奥殿へ…。

その東に、この廟所にはそぐわない朱塗りの社がある。

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 守屋祠と云う。
聖徳太子と蘇我氏の政敵である物部守屋らを祀る祠である。
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 その後、中心伽藍の正門、南側にある仁王門、そしてその外の南門を見て、また境内を歩き、西大門、そして西大門の西にあるこれも重文の石の鳥居まで探索した。
 西門の外は天王寺の駅に繋がる参道である。
この参道は2本の国道と交差している。
奈良へ向かう国道25号線の下り線と上り線である。下り線を渡った所に釣鐘まんじゅうの店「TG屋」があった。

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 釣鐘まんじゅう? 聞いたことがあるような…。
確か和歌山県の中部の道成寺名物に釣鐘饅頭というのがあった。
それかな? と思って店内に入ってみた。
 この釣鐘まんじゅうは、明治33年に四天王寺に地元の有志から日本最大と云われる158トンのも大梵鐘が奉納され、世間の評判になった。
現存する日本最大は「国家安康 君臣豊楽」で知られる京都方広寺の83トンであるから、その約2倍である。
この大梵鐘の寄進を受けて、釣鐘の形に似せた饅頭を門前で売り出したのが釣鐘まんじゅうの始まりとのことである。
以来、四天王寺参拝土産として、100年以上の時を経ても売られているとのことである。
 そういう伝統の饅頭であるとは知らなかった。
早速お土産に買い求めた次第である。
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帰って早速頂いてみた。
外側はこんがりと焼けたカステラ地、中身は小豆のこし餡である。
味は明治の頃とは変わっているのであろうが、明治伝統の大梵鐘の味であろう。
 美味しく頂いたのであった。
大梵鐘は太平洋戦争の時に武器製造用に供出され、この記念饅頭だけが残っている。
それはそれで止むを得ないのであろう。
 四天王寺界隈はハルカス人気で人出が多い。
今年は大坂夏の陣400年にあたるので、舞台中心のこの上町台地の観光人気が上昇するのかも知れない。