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 瀬戸内海や大阪湾は「あなご」が名産で、各地にあなごを使った名物料理がある。
煮あなごや焼きあなごのにぎり寿司、押し寿司や巻き寿司、そしてあなごの丼などである。
 山陽本線の加古川と姫路の間に宝殿と云う駅がある。
かつては結婚式の定番の謡曲「高砂や~ この浦舟に 帆を上げて~ この浦舟に帆を上げて~ 」で全国的に知られる高砂市の北部にある駅である。

この播磨灘の沿岸の明石や加古川、高砂、姫路はあなごが名産で、それも焼きあなごが名物である。
南の山陽電車の高砂駅前には焼きあなごの名店「SM商店」があり、地元客にも遠来の客にも人気がある店である。

 この宝殿とは変わった駅の名である。
この辺りの山の多くは巨岩で構成されていて、駅の南には「石の宝殿」という巨岩を祀る「生石(おうしこ)神社」がある。
その石の宝殿から駅名が付けられたものである。
 前々からこの石の宝殿を見たいと思っていたので、宝殿で途中下車した。
 生石神社へは歩くと駅から30分ぐらい掛かりそうであるが、「じょうとんバス」というコミュニティーバスがあり、上手く乗れれば時間短縮が可能である。
バスの時刻までは、まだある。
丁度昼時であったので、この機会に名物焼きあなごを賞味してみようと店の情報を仕入れた。
 駅から5分位の所に手打ちうどん・そばの店「MT屋」があり、その店の焼きあなご丼が上手いとのことであった。
上手い具合に店の前にもバス停があるとのことである。
 早速行くことにした。
店は7割ぐらいの入りであった。
バスの時刻を告げて、焼きあなご丼を注文した。
「順番ですから、間に合うかどうかは分かりませんけど…」
と言われたが、間に合わなければ歩けばいいので、覚悟して待つことにした。
しかし時計が気になる。
もう限界か? と思った頃、やっとのことで出てきた。
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 小さいすし桶に、白飯、その上に錦糸玉子、そして焼かれたあなご、そしてきぬさやの順で乗っている。
見るからにカラフルで美味そうである。
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 早速頂いてみよう…。
 あなごは温かいので、焼いた香りがするのは有り難い。
そして硬くもない。
合わせて出されたすまし汁を頂きながら、そして時計を気にしながら、たちまちのうちに完食となったのであった。

バスに間に合うギリギリの時刻に店を出ることができた。
バスは少し遅れていたようで、少し待たされた。

バスに乗り生石神社の下の終点「ふれあいの郷生石」というバス停で降りた。
そこから神社までは比高50m程度の山登りである。
途中の鳥居から長い石段を登る。
 拝殿にお参りし、ご朱印をお願いして、御神体の石の周りを回ってみる。
大きさ5~6mぐらいの立方体の岩で、岩の周囲は水たまりになっている。
水に浮いているように見えることから、別名「天の浮石」とも云われる。
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 神社の裏は一段と高い岩の塊で、横の階段から登ることができる。
そこからは宝殿駅を中心とした町並みが一望できる。
近くの山も岩石であろう。
石が切り出された跡が痛々しくも見えたりする。
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 この生石神社には面白い逸話がある。
秀吉の三木城攻めの時、まずは支城の神吉(かんき)城を落とすためにこの神社を本陣としたいと申し出たそうである。
しかしこの神社の宮司は神吉城主の弟であったため、当然のことながら断られた。
それに怒った秀吉は神社を焼き討ちにした。
そして、焼け残った梵鐘を持ち去り、小姓であった大谷吉継に与えたと云われる。
 吉継はその梵鐘を関ヶ原に持ち込み陣鐘として使った。
西軍であった吉継は敗れ、その鐘は家康が戦利品として美濃の安楽寺に寄進され現存している。
鐘には「播州印南郡平津庄生石権現撞鐘」と書かれている由緒正しきものである。
 神社の方の話では、近々この鐘が返還されるとのことであった。

神社を後に下山したが残念ながらバスの時刻と合わない。
仕方がないので、街見物も兼ねてブラブラと駅へ戻った宝殿参りであった。