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 広島県のJR山陽本線の三原と広島の間に「西条」という駅がある。
用向きがあり、ここで下車することになった。
時間まで多少の余裕があったので、西条周辺の探索をすることにした。
 付近の地図を手に入れ、広げてみた。
いきなり飛び込んで来たのは『西条は酒蔵の街』。
よく酒屋や居酒屋で目にする賀茂鶴、賀茂泉や白牡丹なと、8つの銘酒の醸造所が所狭しと並んでいる街という説明である。
 まず町の全体を眺めてみようと、駅裏の小高い丘に行った。
ここからは、酒蔵であろう、大屋根の間から醸造所の煙突が数本見える。
お決まりの赤レンガのタワーで、醸造所の名前が白い文字で大きく書かれている。
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 聞いてみると西条は京都の伏見や兵庫の灘・西宮と合わせて、日本三大酒処と云うそうである。
 そういえば駅裏のこの小高い丘には御建神社というのがあるが、その本殿横後ろに松尾神社というのがあった。
おそらく酒の神として知られる京都の松尾大社を勧請したものであろう。
結構古い社であった。
 少し西条の町に触れる。
西条駅前を東西に伸びる古くからの街道のような道は江戸時代には西国街道と呼ばれていた。
この西条駅の付近は四日市と呼ばれる宿場町であり、街道沿いに伸びた宿場の真ん中に、広島藩直営の「御茶屋」と呼ばれた本陣が置かれていた。
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 この本陣、現在も一部保存されているが、門扉が閉ざされていて入れない。
 この西国街道が現在は酒蔵通りとして変貌を遂げている。
 この町で本格的に酒造りが始まったのは、明治のころからであるという。
その前は酒は無かったのかといわれると、そうでもない。
 宿場の本陣に泊まった殿様や旗本達幹部には酒が振る舞われたのは当然である。
その本陣用の酒は、商売とかいうことでは無しに、本陣の隣にある庄屋さんの屋敷で造られていたと云われている。
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 明治の中ごろ鉄道がこの町に通り、駅ができた。
これを機会に、西国街道沿いの商家が次々に酒造りを始めたと云われる。
 山陽本線の線路沿いの南側に、当時はまだ珍しい酒造会社が3社も誕生し、それらの醸造蔵が次々と建って行ったと云う。
赤い煙突が立ち並び、白壁の酒蔵が続く「酒蔵通り」の町が誕生したのであった。
 ひとくちに酒を造るといても、簡単にはいかない。
良質の水が無いと美味い酒にはならないのであるが、ここ西条では龍王山の伏流水を井戸から汲み上げて使われている。
カルシウム、マグネシウムの含有量が低い理想的な軟水である。
 この水は山から何年もかかって酒蔵に到達し、仕込みに使われるそうである。
 各蔵元では、この仕込み水の井戸を一般に開放している。
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 ある蔵の井戸水を数本のペットボトルに入れている人も見かけた。
 もちろん原料の水は大事であるが、米も麹も輸送も市場も大事である。
鉄道の敷設が輸送の解決にはなった。
というか鉄道ができたから、酒を造るようになった。
 実は明治の日清・日露戦争の時、広島の宇品港が軍需物資の積出港となったのが、大きなきっかけであると云われている。
 軍隊では酒は必須、戦地に運ばれた。
そして戦争が終わって戻ってきた兵士は全国に戻って行くが、戦地で飲んだ酒の味が忘れられず広島の酒を求め、たちまち全国区になったという。
 余談であるが、この西条の南に呉という軍港がある。
ここは、超軟水が採収できるそうである。
軍艦に積む水に最適であるということから、呉が軍港に選ばれたという話も聞いた。
 西条の蔵元のいくつかを回って外から眺めてみた。
蔵元により大小はあるものの、板張りの役所風の事務所と白壁蔵と赤い煙突、その伝統を物語っているようである。
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 「KT」という酒蔵の展示場がオープンしていて、案内の方からいろんな話が聞けたのは良かったが、仕事の前に行ったので試飲はできなかった。
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 時間帯が極めて悪かった。これからは気を付けたいと思う。
 広島の酒になぜ賀茂…という名前が使われているか?不思議に思っていた。
それは元々ここは賀茂郡といわれていたからだそうである。
なぜ賀茂郡と云われたのかと云うと、この賀茂郡はかつて京都の賀茂神社の
荘園であったことにちなんでいるということである。
 聞いてみると、この西条には、酒の他に美味しいものが2つあるそうである。
 一つは「美酒鍋」、もう一つは酒入りの「樽最中」である。
 美酒鍋は、酒の仕込み時期の蔵人のまかない料理であった。
西条では各酒蔵ごとにそれぞれの材料と調理方法で作られていたそうである。
名前の通り鍋であり、ニンニクを炒め、鶏肉、砂ずり、コンニャク、や各種野菜を入れ、酒と塩コショウで味つけしたシンプルな鍋料理ということである。
 いくつかの店で食べられるそうであるが、これも今回はパスした。
 も一つの美味いものは「樽最中」。
酒粕を最中の白餡の中に混ぜた物である。
100年前の酒造会社ができたころに創業したと云う「Sや」が製造販売している。
 店内で試食してみた。
確かに酒の味が口の中で広がるが、嫌みのないさわやかな味である。
お土産に少し買い求めた次第である。
 余談であるが、
この近くに竹原という町がある。
江戸時代から「竹鶴」という銘柄の酒を造っている酒造蔵がある。
その名の由来は蔵の裏にある竹藪に鶴が飛来し巣を作った事を喜び「竹鶴」と名づけたそうである。
以来、姓も竹鶴と称している。
 ご存じニッカウヰスキーはこの酒屋発の創業である。
 またサントリーウヰスキーも竹鶴氏が事業を始めたことで知られる。
 現在の某公共放送の朝ドラで取り上げられている。
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 も一つ余談、
西条の町の外れに「独立行政法人 酒類総合研究所」というのがある。
日本で唯一の酒に関する国の研究機関で、財務省管轄である。
なぜ財務省?
 酒と税金…か…。
そういえば酒は税収入には無くてはならないものであった。
 この研究所の前を通り、仕事先へ向かったのであった。