1
東北宮城まで行く機会があった。
いつもとんぼ返りであるが、今回は少し時間に余裕ができたので、例によってミニ旅をしてみることにした。
いつもとんぼ返りであるが、今回は少し時間に余裕ができたので、例によってミニ旅をしてみることにした。
仙台駅を起点にして、さてどこへ行くか?
こういう時は駅に観光案内所があれば、そこで聞いて見ることにしている。
こういう時は駅に観光案内所があれば、そこで聞いて見ることにしている。
宮城と云えば震災の復興状況が気になるところである。
観光も兼ねて松島へ行くにはどれくらい時間が掛かるか聞いてみた。
「電車で40分はかかりますね」
「それは掛かり過ぎです。手前の塩釜はどう?」
「東北本線でなら、20分足らずで行けますけど…」
「電車で40分はかかりますね」
「それは掛かり過ぎです。手前の塩釜はどう?」
「東北本線でなら、20分足らずで行けますけど…」
「じゃあ、塩竃神社へ行ってみようかな? 駅から神社までは遠いの?」
「歩いて10分ぐらいです。但し、石段の登りはきついので仙石線の本塩釜駅から歩かれるのが、お勧めです。時間は余計に掛かりますけど…、緩やかな登りです」
「急でも緩やかでも、登る高さは一緒なんでしょう? なら早い方で行きます。ありがとう」
「お気をつけて…」
と早速東北本線のホームに向かったのであった。
「歩いて10分ぐらいです。但し、石段の登りはきついので仙石線の本塩釜駅から歩かれるのが、お勧めです。時間は余計に掛かりますけど…、緩やかな登りです」
「急でも緩やかでも、登る高さは一緒なんでしょう? なら早い方で行きます。ありがとう」
「お気をつけて…」
と早速東北本線のホームに向かったのであった。
丁度、学校の退け時、発車を待つ車内は賑やかである。
彼らは彼女らは、まだまだ学校の廊下や教室の延長の積りなのだろう。
喋りたい気持ちは分かるが、公共の場なんだから…。
午後の電車に乗るとこのような場面に良く遭遇して、しまったと思うことがよくある。
ワキマエが欲しいものである。
彼らは彼女らは、まだまだ学校の廊下や教室の延長の積りなのだろう。
喋りたい気持ちは分かるが、公共の場なんだから…。
午後の電車に乗るとこのような場面に良く遭遇して、しまったと思うことがよくある。
ワキマエが欲しいものである。
そんなことにはお構いなしに、電車は発車した。
塩釜駅に着いた。
改札を出ると全くの住宅街である。
駅前の案内看板に従って、塩竃神社目指して歩き始めた。
改札を出ると全くの住宅街である。
駅前の案内看板に従って、塩竃神社目指して歩き始めた。
住宅街の中の広い幹線道路を歩く。
10分経ってもそれらしきものが見えては来ない。
方向を間違えたのか?、それとも東北人は歩くスピードが速いのか?
更に5分ぐらい歩く。
10分経ってもそれらしきものが見えては来ない。
方向を間違えたのか?、それとも東北人は歩くスピードが速いのか?
更に5分ぐらい歩く。
右手にやっと森らしきものが見えてきた。
「これだ!」
交差点を右手に折れて、近づいて行く。
「これだ!」
交差点を右手に折れて、近づいて行く。
やがて通りの向こうに鳥居と石段が見てきた。
なるほど、案内所で聞いた通りかなりの石段のようである。
なるほど、案内所で聞いた通りかなりの石段のようである。
案内によると、この石段は表参道である。
男坂とも云うらしい。
男坂とも云うらしい。
一段ずつ登り始めた。
ついでだから、数えてみよう。
真ん中辺の広いところまで、80段強。
そこから上まで120段強。都合200段ぐらいのものであったが、途中休憩ありで何とか神門まで辿りついた。
神門は素晴らしい楼門である。
ついでだから、数えてみよう。
真ん中辺の広いところまで、80段強。
そこから上まで120段強。都合200段ぐらいのものであったが、途中休憩ありで何とか神門まで辿りついた。
神門は素晴らしい楼門である。
2
塩竃神社は正式には「鹽竈神社」と書く。
市の名前は塩竃市、そして駅の名前は塩釜駅と本塩釜駅、漢字がややこしいが読みは全て「しおがま」。
この土地の人たちは頑固なんだろうな、と云う実感である。
市の名前は塩竃市、そして駅の名前は塩釜駅と本塩釜駅、漢字がややこしいが読みは全て「しおがま」。
この土地の人たちは頑固なんだろうな、と云う実感である。
鹽竈神社は東北鎮護の神で、陸奥国一之宮である。
従って、古くから朝廷を始め庶民の崇敬を受けてきている。
武家社会になってからは、奥州の藤原氏、鎌倉時代の伊沢氏、そしてそれ以降ご存じ仙台藩伊達氏の崇敬を受け、伊達氏の時には歴代の藩主が大神主を務めたと云われている。
従って、古くから朝廷を始め庶民の崇敬を受けてきている。
武家社会になってからは、奥州の藤原氏、鎌倉時代の伊沢氏、そしてそれ以降ご存じ仙台藩伊達氏の崇敬を受け、伊達氏の時には歴代の藩主が大神主を務めたと云われている。
境内を巡って見た。
本殿は白テントで覆われた工事中で、少し残念であった。
ご朱印を頂くべく、社務所に立ち寄った。
2つの神社があり、見開きのページの両方を埋めてくれるそうである。
そもう一方の神社は志波彦(しわひこ)神社。それのご朱印である。
本殿は白テントで覆われた工事中で、少し残念であった。
ご朱印を頂くべく、社務所に立ち寄った。
2つの神社があり、見開きのページの両方を埋めてくれるそうである。
そもう一方の神社は志波彦(しわひこ)神社。それのご朱印である。
聞いてみると、志波彦神社は農耕守護・殖産の神で元々は仙台市の宮城野区にあったそうであるが、近代になって鹽竈神社の境内に遷宮されたとのことである。
その他にも、塩の神、安産の神の別宮が本殿の横にある。それぞれにお参りし、今度は横の緩やかな坂道(女坂)を降りたのであった。
その他にも、塩の神、安産の神の別宮が本殿の横にある。それぞれにお参りし、今度は横の緩やかな坂道(女坂)を降りたのであった。
降りきったあたりはもう平地になっている。
そこは神社の古色豊かな雰囲気とは一変し、新しい街の様相を感じる。
なるほど、ここ辺りまで大津波が押し寄せたのか? と思い、気分を一新した。
そこは神社の古色豊かな雰囲気とは一変し、新しい街の様相を感じる。
なるほど、ここ辺りまで大津波が押し寄せたのか? と思い、気分を一新した。
道路の舗装は新しい。街灯や案内看板も新しく輝いている。
家屋や商店にも新しいのが見られる。
復興がかなり進んでいると思われる様相である。
家屋や商店にも新しいのが見られる。
復興がかなり進んでいると思われる様相である。
安心して、ここから数百メートルにある本塩釜の駅まで歩いて行くことにした。
道路向かいを少し入ったところに御釜神社と云う鹽竈神社の摂社がある。
この神社の前の道を駅方向に行く商店街?を歩くことにした。
この神社の前の道を駅方向に行く商店街?を歩くことにした。
少し行った辺りから商店が見られる。
左手に酒蔵があった。
「どんな酒屋だろう?」
と思って眺めた。
すると酒銘は何と「浦霞」、全国的に知れ渡ってる宮城の酒蔵である。
「どんな酒屋だろう?」
と思って眺めた。
すると酒銘は何と「浦霞」、全国的に知れ渡ってる宮城の酒蔵である。
「へぇ~え。ここにあったのか」
何か得した思いをした。
小さな商家風の店と二つの蔵が道端にある。
しかし、それぞれが新築のように新しい。
改修をしたのか建て直したのかはわからないが、立派に酒を製造販売しているようである。
何か得した思いをした。
小さな商家風の店と二つの蔵が道端にある。
しかし、それぞれが新築のように新しい。
改修をしたのか建て直したのかはわからないが、立派に酒を製造販売しているようである。
今酒を買うと重いので、仙台駅ででも買って行こう…。
そういう気分になった。
そういう気分になった。
しかし綺麗なものばかりではない。
通りの反対側には、仮設の商店群長屋が…。これも現実である。
何かちぐはぐな感じもした。
通りの反対側には、仮設の商店群長屋が…。これも現実である。
何かちぐはぐな感じもした。
3
老舗のお菓子屋さんでこの道は突き当りである。
左に取り、大きな道を横切って回り込み、本塩釜の駅に着いた。
駅前も綺麗になって、広い感じである。
左に取り、大きな道を横切って回り込み、本塩釜の駅に着いた。
駅前も綺麗になって、広い感じである。
観光案内所があったので、入ってみた。
そして聞いてみた。
「塩竃の名物料理って何ですか?」
「それは寿司です。店はたくさんありますよ」
と、寿司屋のマップを手渡してくれた。
そして聞いてみた。
「塩竃の名物料理って何ですか?」
「それは寿司です。店はたくさんありますよ」
と、寿司屋のマップを手渡してくれた。
しかし、寿司は何処でも食べられるので、今回はパス。
駅の中に入ったのであった。
駅のホームは3階くらいの高さである。
塩釜の海が見える。
ここから海水が浸入してきたんだなと思い、複雑な気持ちになった。
塩釜の海が見える。
ここから海水が浸入してきたんだなと思い、複雑な気持ちになった。
仙石線の電車に乗った。隣の駅は西塩釜。
この駅で、またもや高校生に車内を占領されてしまった。
この駅で、またもや高校生に車内を占領されてしまった。
仙台駅に到着して、早速浦霞を買い求め、東北新幹線に乗った駆け足の旅であった。