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 四国に入る大手門が香川県の瀬戸大橋なら、徳島の鳴門はさしづめ二ノ丸への虎口であろうか?
鳴門には渦潮や鳴門鯛、ワカメや鳴門金時芋で良く知られているが、その他にも名物・名所がある。
 今回はJR鳴門線の鳴門駅で下車し、バス便で鳴門海峡、小鳴門海峡へ向かうことにする。
鳴門市にはご存じ淡路島の対岸近くに小鳴門海峡を挟んで大毛島、島田島と2つの大きな島がある。
大毛島には高速道路が走り、淡路島と鳴門海峡大橋で結ばれている。
大毛島は国立大学法人の鳴門教育大学があり、その先端には鳴門公園や大塚国際美術館があるところでもある。
 その前に鳴門駅前にある撫養川・撫養港に出てみることにする。
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 撫養川の向こうに撫養城の天守が見えている。
阿波九城の一つであるが、残念ながら模擬天守である。
 バスに乗って大毛島に向かう。
小鳴門橋を渡り、バス停高島で下車した。
目的は「鳴ちゅるうどん」、鳴門のB級グルメとして関係者が力を入れているものである。
 少し歩いて「TB」と云ううどん屋さんに到着した。
店にはテーブル、カウンターがあるが半分程度の込み具合である。
まだ昼前の時間帯であったので、テーブル席に腰を下ろし、わかめうどんを注文して暫く待つことになった。
 この時間帯に鳴ちゅるうどんの歴史を紐解いて見る。
この鳴門では江戸時代から製塩業が盛んであった。
男は塩田へ働きに出、女は家庭を守りながらうどんを打ったと云われる。
 それが鳴ちゅるうどんである。
女性らしいうどんで麺の表面はピカピカ、そして細い。
讃岐の様に男が力任せに打つうどんでは無い。
腰ももちろん柔らかい。
大和撫子うどんができていたのであった。
そして出汁はイリコやコンブ、アジなどの天然もののやさしい味の伝統も引き継がれている筈である。
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 待望のうどんが出てきた。
 トッピングには厚めの刻んだ揚げ、そしてもちろんのこと大量のワカメ、そして若干の薬味葱である。
出汁はと見てみると、薄い褐色であるが底まで透けている。
見ただけで味がわかるような感じである。
 早速頂いてみる。
麺は謳い文句だけあってツルツル、細くもあり抵抗感が殆ど無い。
出汁は薄味、ワカメやうどんの小麦の香りが乗せられているような…。
満足の一杯であった。
 うどん屋TBを後に、かつての塩田業の屋敷が近くにあると云うのでそこに向かう。
国の重要文化財に指定されている福永家住宅である。
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 塩田は全て無くなっているが、塩の加工工場が建屋の中にそのまま残っている。
一部鹹水溜などが修復されているが、当時の様子をよく伝えている。
 そしてこの福永家では当時の技術に各種の発明・改良を加えて、その努力で製塩業に成功して、財を成したと云われている。

この福永家の経緯、ネット小説で読ませて頂いたような記憶がある。
主人公は若き女性主人公だったように思うが、見事な商いぶりで、家を離れて金貸し業を営んでいた実の父をも救ったという親子の情愛も満載されたような話であった。

 もう一つの話題は鳴門教育大である。
東北大震災の後にこの大学の学生がボランティアに行った話である。
 岡山から四国へ向かう瀬戸大橋が台風で通行止めになったことがある。
丸一日岡山駅で待たされたのだが、午後10時頃やっと電車が動き出した時、この学生と隣り合わせになった。
旅は道連れであれこれ聞いて見たら上述の通りであった。
徳島まで帰ると云う。
 このような人思いの学生が学校の先生になったら、さど良い教育ができるのだろうなと思った。
小生は四国に入ったらすぐ降りるので、徹夜を覚悟して購入した弁当をその学生に譲った。
美味しそうに食べてくれた。
そして、「これからも頑張って」と励まして別れたのであった。
鳴門と云うとそのような思い出も浮かぶ。