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 東京の築地市場を見学してみようと、都営大江戸線築地市場で途中下車した。
出口の案内矢印に従って歩いて地上に出ると、そこはもう築地市場の正門の横であった。
 前の通りは新大橋通りという。
交差点を挟んで、向かい側の左が朝日新聞社、右が国立がんセンター研究所である。
少し右手の並びには築地の場外市場、寿司屋を始め沢山の飲食店と玉子焼きなど食材の店がかたまっている。
更にその向こうは勝鬨橋に繋がる晴海通りを挟んで築地本願寺である。
 築地市場の正門には2~30歩で行くことができるが、市場の外壁に取り付けられた箱の中に来場者用の地図が置かれている。
一つ頂き、イザ市場の中へ…。市場には正門横の守衛室の前を通って入る。
名簿に書き込みでもするのかな? と思ったが、そのまま知らん顔で入ってしまった。
セキュリティーは厳しくない様である。
 まず、右にある仲卸市場へ行って見よう。
あまり人はいない。
ガードマンが歩いてきたので、
「こっちに行ってもいいですか?」
と聞いて見た。
「いいですけど…、もう殆ど終わってますよ」
確かに昼ごろであったので、そうであろう。
市場は朝暗いうちから開いているのだから、この時間では終わっているのは当り前なのであろう。
 それでも行ってみた。
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後片付けの人やトラックがあるだけである。
殆どの店は誰もいない。
白い発泡スチロールの箱だけが積まれている。
兵どもの戦いの跡を実感した。
 鮮魚のところや青果のところを見て回った。
仲買人やら町の魚屋さんや料理さんが仕入れに来るところであろう。
照明も最低限にされている。
因みにこの築地市場、売り上げは都内の市場で最高で、一日20億円に達するそうである。
 市場は終わっているので、次は魚河岸市場である。
ここは一般人でも食べたり、買ったりすることができる。
中の通路は4~5本ある。
店の数は4~50もあるような感じである。
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 寿司屋さんの前には行列ができているところもある。
有名な寿司屋さんであろうか?
市場で買ったばかりの魚を寿司ネタに、美味い物が食べられると思うが、並ぶ気にはなれない。
 更に見て回る。
店の塊りの裏の方に神社がある。
「魚河岸水神社遥拝所」と表示がある。
この神社の本殿は神田明神の中にあるそうである。
あの徳川家康が連れてきた大坂の佃の漁師たちが、日本橋魚河岸市場の開祖である「大市場交易神」を祀ったのが始まりと云われている。
 また説明によると、この築地市場の場所は江戸時代は、例の老中松平定信の庭園だったそうで、明治の時代には海軍用地となったそうである。
それゆえ、ここは日本海軍発祥の地であるとのことである。
 元は日本橋にあった魚河岸が何故にここに移ったんであろうか?
それは関東大震災が契機になっている。
 震災後の東京の再建に、魚河岸として、汐留貨物駅に近い列車交通の便、そして隅田川の河口の水運の便、これらの便からここに決められたそうである。
 魚河岸水神社の横にもう一列、商店市場がある。
行って見ると、牛丼や洋食の店などなど…。
牛丼の店は云わずと知れた「YN家」である。
通称「Y牛」、店頭にYN家発祥の薀蓄看板が掲げられている。
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 わかるような気がする。
朝から魚ばかりを相手にしている職人たちが、魚とは違う別の物を食べたくなるのは人情であろう。
 YN家は明治32年に日本橋の魚河岸の中で創業したそうである。
忙しい魚河岸の人達の空腹を満たすのに「早い、安い、美味い」を基本にしてビジネス展開したのであった。
100年以上も商売を継続した結果、今や1000店以上の店を有し、誰もが知る牛丼チェーンとなったのである。時にはアメリカ牛のBSE問題もあって苦境に立たされたり、他グループ店の安売り問題、そして更にもっと深刻な問題もあったが、クリアーし、ブランドを守ってここまで来ている。
創業者の松田栄吉氏は現大阪市福島区YSの出身である。
出身地の名前を屋号にしたそうである。
 余談であるが、讃岐うどんの「HNMR」もこのYN家のグループ会社である。
ここのコンセプトも同じである。
おそらく讃岐一の安いうどんであろう。さて、今日の昼ごはんは決まった。
おなじみの「Y牛」の牛丼を頂くことにしたのであった。
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