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 関東方面へはよく出かける。
特に東京近辺へ出かけた時には、未知の所があったりすると、あっちこち訪ねる楽しみが多くなる。
 この前、東京へ出かけた時に、宿舎と訪問先の間にある「門前仲町」で途中下車してみた。
門前仲町には、ここを通っている永代通りは何回か車で通っているが、歩きで見物するのは初めてである。
門前と云うからには寺社がある筈である。
早速、探索してみた。駅の北側はその門前のような商店街通りの構成となっている。
老舗のお菓子屋さんが何軒かあり、人通りも多い。
駅の階段を上がってすぐ右手にあったのは「あげまん」のMT商店。
元祖あげまんが食べれるのかと一瞬思ったが、「本日は売り切れ」の札が掛かっていて、もう閉店している。
残念である。通りの正面を見るとお寺のようながある。
門前の通りといっても100mぐらいである。
どういうお寺だろうと思い近づいてみると「深川不動尊」、成田山の系統だそうである。
「そうか、この辺りは深川だったな…。成田山だから厄除けだな…」

門前とは深川不動尊なのかと思ったが、決定するのはまだ早い。
周りを探索しながら調べてみることにして、先ずはお参りしてご朱印を頂いた。
 寺を出てゆっくり見てみようと思い歩き始めた。
するとその門前の通りの左方向に神社の鳥居と森が見える。
そっちにも行って見よう。
 行って見るとそこは富岡八幡宮、何か由緒がありそうである。
永代通りまで回り込んで、正面から入ってみた。
 鳥居を潜ると左手に、江戸時代の地理学者・伊能忠敬(いのうただたか)の像がある。
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 忠敬はこの深川に住んで日本全国を旅したが、その測量旅に出かける際には必ずと云っていいほど、この富岡八幡宮に安全祈願をしたそうである。
この像の前には横奥の茶店のものであろうか「深川めし」の幟が立っているが、店は閉まっているみたいである。
どうも今日は日が悪い。
 その向かいの参道の右手には、相撲の大関の碑がある。
何人かの力士の手形をあしらった石盤もある。
別途、横綱の碑も本殿の横にあるらしい。後で行って見よう。
 本殿に向かう。
左手に神輿庫がある。
大きく立派な神輿が奉納されている。日本一の大きさだそうである。
聞くところによると、この富岡八幡宮の深川祭、神田明神の神田祭、そして永田町の山王神社の山王祭を江戸の三大祭りと云うのだそうである。
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 参道の両側には紅白のテントで囲われた出店が10店程並んでいる。
しかし誰もいない。店も空っぽである。
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 店の中には背の高い竹筒に切れ込みを入れたものが沢山立てられている。
なんの店だろうと暫く考えた。
 竹筒の切り込みからやっと思いついた。
この季節は東京では酉の市なんだ…。
酉の市は2回ある。
最初のを一の酉、後のを二の酉と云うのだそうであるが、丁度、間の日だったようである。
これも残念である。ほんとに今日は日が悪い。
 とりあえず、本殿に参拝しご朱印をお願いした。
待ってる間に、本殿の周りを見てみよう。
本殿右奥の横綱の碑は大きく立派なものであった。
 もう一つ横の方に末社群があり、その左端に花本社と云うのがあった。
俳人松尾芭蕉を祀ったものである。
そう云えば芭蕉は深川住まいが長かった。
 ご朱印を頂きに戻った時に、神職の方に聞いてみた。
「芭蕉の住まいは遠いんでしょうか?」
「もう住んでいませんよ…。場所は1駅ほど北ですよ」
変な回答であった。
遠いと云われたので、見に行かないことにした。
 富岡八幡宮を後にして、ホテルに行こう。
しかし深川名物の深川めしを食べて行かないと…。
深川丼と云う幟を見つけた。
近寄ってみると弁当屋である。
「同じようなものであろう…。まあいいか…」
1つ注文して、手にぶら下げて、電車に乗って今夜のホテルに向かったのであった。
 深川丼の蓋を開けてみると、写真サンプル通りにアサリの湯がいた身と青ネギが沢山乗せられてあった。
食べてみた。ご飯は鮓飯である。
なるほど…。海鮮丼の一種なんだな…。
と、美味しく完食した。
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 門前仲町の「門前」の由来とこの辺りの歴史をWEBで調べてみた。
 江戸時代の初期の頃が起こりである。
当時砂州であった深川を干拓しているときに、工事が難航したため、当時横浜にあった波除八幡の異名を持つ富岡八幡宮を分霊して、永代島に建立し、工事を完遂させたとの由来がある。
神社は長盛法師と云う人がが神託により建立したとのことであるが、創建当時は「永代八幡」と呼ばれた。
また、この時、別当寺院として永代寺も建立されている。
 その後、江戸で市川團十郎が演じた歌舞伎が流行した。
その影響により成田信仰が高まって、この永代寺境内にて、成田山不動尊の「出開帳」が何度も行われた。
いつも出張と云う訳にはいかない。
それを常設しようということで、永代寺の境内に不動堂が建立されたとのことであった。
 門前とは正確には永代寺の門前であった。
そして深川を東西に貫いている大きな通りを永代通りと云うその由来も判明したのであった。

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