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 山陽本線姫路駅で途中下車した。
丁度昼時であったので、ホームにある立ち食いそばの店で腹ごしらえをしようとそこに向かった。
店の名には「えきそば」と看板が上がっている。
メニューは色々あるが、そばが主体である。
 食券販売機で「牛蒡のかき揚げそば」を選んで、できるのを待った。
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 出てきた出てきた、しかしこれも変わっている。
1mm角の細い牛蒡が5cm位の長さで、かき揚げにされている。
そして、麺は白い。
細うどんか?と見てみるとそうでもない。
黄そばと言った方が正解であろうか?
このような場所で黄そばに出会えるとは…。
 とやかく言っていないで、まず頂くことにしよう。
出汁は濃い。どちらかと云うと塩味である。
牛蒡のかき揚げは細い故だろうか? これもあまり牛蒡の味がしない。
そして辛めである。
麺は少し太目である。
 この麺と出汁スープの濃さ、そしてかき揚げの辛さがぴったりと合うのである。
世の中色んな味付けがあるものだな、と感心しながら美味しく頂いたのであった。
 この「えきそば」は戦後間もないころの創業である。
終戦後の何もない混乱期に統制品であった小麦粉の替わりにこんにゃく粉とそば粉を  まぜたそばを販売したそうである。
その後試行錯誤の結果、今の鹸水(かんすい)入りの中華麺と和風出汁というえきそばが誕生したとのことである。
やはり「黄そば」の走りである。
 腹ごしらえも出来たので、改札を出て少し探索して見よう。
駅の改札口を出た正面の所に観光案内所がある。
入ってみた。

 やはり大河ドラマの寵児、官兵衛一色である。

そして旨い具合に長いこと白い囲いに覆われていた姫路城の天守閣が、姿を見せたとのことでもあった。
この城は元々原型は官兵衛や親の黒田職隆(もとたか)が造ったものであるが、一般に云われている姫路城はそれ以降の池田輝政や本多忠政が大城郭を築城したものである。

 姫路城天守閣は駅から広い通りの向こうに聳えているのが良く見える。
前回来た時のテントの風景とは大いに違う。
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 これは近くまで行かないと…。
近くまで行って見ることにする。
 現在は観光用に城巡りのループバスが運行されている。
運賃は一乗車100円と手頃である。
 大手門前で降りて城内に入ってみる。
確かに壁の漆喰も真っ白、瓦の保護の漆喰も真っ白となった新しい天守が現出している。
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 あっちこちと天守の周囲を回り写真を撮ったのであった。
 さて、姫路で話題の黒田官兵衛のことである。
官兵衛は西播磨の武将で、領主の小寺政職(まさもと)に仕えていた。
信長軍秀吉隊の中国攻めに呼応して、その先見性からか、いち早く秀吉方に付いたことで知られている。
 そして通説では、秀吉に姫路城を譲り、以後、秀吉の軍師として活躍するのであるが、その策略や智謀には鋭いものがあり、秀吉に代わって天下を取るのではないかと、秀吉が最も恐れた人物ともされている。
 そのためか最後は秀吉から遠ざけられ、九州方面を舞台に活躍する。
 それが良かったのであろうか?
秀吉亡き後は息子長政と共に徳川に与し、その才覚から筑前黒田藩52万石を立藩することになる。
軍師と云うよりは、武将の単なるお家の成功物語になってしまっている。
 秀吉のところには、官兵衛より少し早く竹中半兵衛と云う軍師がいた。
半兵衛は軍師として若すぎる生涯を全うしたが、官兵衛はどうだったのであろうか?
両者の軍師としての倫理観・仕官観が対比されるところである。
テレビドラマは既に展開されている。
ご覧の方も多いのでなないかと思われる。
 姫路と云えば、菓子では「玉椿」、藩の御用達で黄身餡の少し高級なものである。
姫路城主酒井忠学が11代将軍徳川家斉の娘を娶った時の婚礼用として作られた菓子である。
 そして、有名な赤穂の塩味(しおみ)饅頭。
播州赤穂城主であった浅野内匠頭が好んだもので、姫路の菓子製法に学んだものと云われている。
内匠頭が江戸への参勤交代の際に手土産として将軍家に献上し、諸国の大名にも贈ったため、その名は広く知れ渡ったと云われている。
これら2つは江戸時代に将軍家と関わった菓子である。
 それらとは関係がない姫路ルーツのB級菓子、「御座候(ござそうろう)」も良く知られている。
デパートや駅売店などで良く見かける店頭で焼いている回転焼きである。
しかしこの御座候は姫路で発祥したものであることはあまり知られていない。
本社は今も姫路にあり、店舗は全国展開中である。
 海産物では、姫路港で水揚げされる穴子であろう…。
駅の土産売店では、焼き穴子、穴子佃煮、穴子蒲鉾が美味そうに並べられている。
 焼き穴子は手間暇掛けた絶品であり、値段もそれなりに張る。
今回は、焼き穴子の身を閉じ込めて作られた穴子蒲鉾を購入して、土産にしたのであった。