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兵庫・岡山の南部を走るJR山陽本線の支線に赤穂線という線区がある。
姫路の西、相生駅から本線を逸れて、南の瀬戸内海方面に向かい、播州赤穂、「カキおこ」の日生(ひなせ)、備前焼のふるさと伊部(いんべ)、裸祭りで有名な西大寺などを通り、東岡山で山陽本線と合流する線区である。

ミニ旅、今回は赤穂線に乗って播州赤穂で途中下車した。

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赤穂と云う町は忠臣蔵の浅野内匠頭(たくみのかみ)や大石内蔵助や四十七士の居城や居宅があったところである。
御存じの方も多いとは思う。赤穂はやはり塩、塩の生産地としてしてその名が知れ渡っている。
赤穂藩は歴代その塩で財を成したと云われている。
また藩主浅野時代、江戸における塩の販売をめぐって、かたや吉良上野介の三河塩と激しい戦いをし、赤穂塩が勝利を収めたことから、その遺恨が忠臣蔵に係わったとも云われている。赤穂に着いたからにはその本場の塩を使った塩ラーメン、これを食べて見ないと…。

駅の観光案内に塩ラーメンマップと云うのが置いてあった。
早速、地図を片手にラーメン店探索である。

播州赤穂駅の正面から赤穂城跡に向かって、お城通りという広い綺麗な道が通っている。
スタートの駅やその道路の両側にラーメン店がいくつかあるらしい。
歩いて見た。

朝早かったせいか、見つかっても準備中とかの札が掛っている。
仕方がないから、先に赤穂城跡、大石神社などを見てみることにした。

赤穂駅から程無くの右手、息継ぎの井戸と云う広場があった。
井戸もある。
浅野内匠頭の刃傷事件を赤穂に連絡するために、家来の早野藤左衛門、萱野三平が早駕籠で駆けつけ、家老大石の屋敷に入る前に一服したところと云われている。

この井戸の向こうに花岳寺という寺がある。
浅野家が常陸笠間から赤穂へ国替えになって以来、浅野家菩提寺である。
四十七士の木像が納められている。

お参りを済ませ赤穂城跡へ…。
大手門から入城して、隅櫓を横眼に歩いて行くと、大石内蔵助の家老屋敷がある。
家老屋敷と一体になって大石神社が祀られている。
仇討を成功させ四十七士にちなみ勝ち運を開く神社として信仰が厚い。
京都山科にも同様の大石神社がある。
これも内蔵助の居宅跡と言われている。
どちらも討ち入りの12月14日に義士祭を開催することで知られている。

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 さらに奥に進むと、本丸・天守跡がある。
門を潜ると中は広い。
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御殿の間取りが事細かに再現されている。
内蔵助を中心に、内匠頭亡き後の赤穂藩の去就を大評定したところである。
感慨深いものがある。天守跡は石垣だけであるが、そこからは赤穂の町が見渡せる。
東浜は浅野時代に開かれた塩田地帯で、現在は市民・観光客憩いの大公園になっている。西浜も塩田地帯であったが、現在は大きい工場が立ち並んでいる。
そして北側の山には、「赤」の文字が浮かび上がっている。

赤穂観光もそこそこにして、そろそろ塩ラーメンに向かおう…。
結局、駅に隣接したグルメ街にあるラーメン店へ行くことにした。

塩ラーメンを頼んで待つことしばし…。
半透明スープの美味そうな塩ラーメンが出てきた。

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こころなしか塩の香りがする。
「これが赤穂の塩か…」と思いながら、一口一口大切に味わった。ラーメンマップによると、店毎にそれぞれ特徴があるそうである。
今回いただいたのは、飾らないベーシックなものだったと思った。なおランチタイムであったので、サラダ、ご飯、大盛りのいずれかのサービスがあったのも嬉しい。

ご当地麺を開拓・拡大しようと言う意気込みを感じた次第である。

尚、赤穂には銘菓「塩味(しおみ)饅頭」と云うのがある。
こしあんに塩味をきかせた独特の味である。
江戸時代に赤穂土産として将軍に献上し、絶賛されたと云う。

我々の生活に無くてはならない塩ではあるが、その歴史を見てみると、赤穂では昭和の中ごろまでは人の労働力に頼る入浜式・流下式の製塩法であった。
しかし現在は全て化学的手法であるイオン交換膜法が開発され工場内生産となっている。

塩田はもう過去の風景になってしまった。
少し寂しい気もする…。