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四国香川・坂出市の予讃線の坂出から高松に向かって2つ目に「鴨川」という駅がある。
高松市の某所に仕事で出かけた帰り、うどんを食べなくてはと途中下車した。

言わずと知れた讃岐うどん…。
高松市内にも美味しいうどん屋さんはたくさんあると思われるが、今回はそれを外して、香川一と言われるうどん屋さんを訪ねることにする。

店の名前は「Gうどん」と言っておこう。
鴨川駅から歩いて20分位かかった。

この店、以前の仕事で香川に来た時に、その都度、四国営業マンの案内で連れて来てもらった想い出ある店である。
曰く「一番美味い店」。
最初は何度か連れてもらった。
場所を覚えたので、その後は勝手に来ることができる。
一人の時、仲間と来た時、まずここへ寄って腹ごしらえをしたものであった。

もう十数年以上も前のことにはなる。
当時は、田んぼの中で、納屋を改造したようなうどん屋さんであった。
一杯100円は安い。
美味い!美味い!と言いながら、2杯は食べたものである。

人気店になったから、大きくなっているかな?と期待をしたが、今も店構えは何も変わっていない。
相変わらず10人も入れば店内一杯になるような…。
その分、店の外に椅子・テーブルが用意されているが、その数は増えている。

変わったのは駐車場、以前は路駐であったが、今は専用駐車場でかなり広くなっている。
近隣の苦情があったものと思われる。
そして、お持ち帰りのお土産を売る小屋も新設されている。

味は変わっていないか?
まずは、かけうどん。

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 ワクワクしながら、出汁を口にして見た。
「うん、うん」美味いね…。
イリコ出汁が効いたまろやかな味である。
以前と全く変わらない。麺はどうか?
つるつる、しこしこ…。
ちょっと堅いが、腰があるというのだろう…。
この感覚は、関西のうどんとは違う。香川のうどんはコシとダシそしてアシ(お金:安い)、3っの「シ」が揃っている。
納得の一杯であった。

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 しかしこれだけでは、満足しない。
生醤油うどん。
茹でたてのうどん玉をどんぶりに入れてもらって、生醤油をかける。
これがまた美味い。
うどん麺そのものの風味、これこそ讃岐うどんの真髄であろうか…。

 讃岐うどんの歴史を探ってみる。

一説には、讃岐を生国とする弘法大師空海が唐から持ち込んだと云う。
一方、博多がうどん・そばの発祥地という謂われもある。
どうなってるんだろうか?

その昔、遣隋使・遣唐使達は、我が国からの中国皇帝へ絹などの貢物のお返しの一つに、小麦粉を主成分とした唐菓子・麺など、小麦穀物加工品をを下賜され持ち帰ったと云われる。
遣唐使廃止後も、鎌倉や室町時代に仏教僧が勉学のために頻繁に中国へ渡り、その時により完成度の高い菓子やら麺やらが、中国土産として持ち帰られたと云われる。

おそらく、弘法大師が持ち帰ったものは麺の原型で、そのまま讃岐の国に伝えたものと思われる。

そしてその100年以上も後に、より完成度の高い麺が、臨済僧たちによって持ち込まれ博多に根付いたものと思われる。
それゆえ讃岐も博多も両方が、うどんの発祥地と言われるようになったものであろう。

なぜ、讃岐にうどんが根付いたのか?
それには、理由が大いにある。
讃岐地方は、内海に面していて、雨が少なく、米作に適する土地柄ではなかった。
慢性的水不足であった。
そのため、ため池が数多く作られたが、それでも干ばつに悩まされていた。
(注:現在は吉野川上流の早明浦ダムから香川用水が引かれ、水不足は解消している)

そこで、当時は不安定な米作よりも小麦栽培に力が入れられ、良質の小麦の産地となっていた。
そして、出汁に欠かせない伊吹島のイリコ、小豆島の醤油。
三拍子そろった土地柄であった。
うどんは、我が家の食べものとして、家々で楽しまれていたものと思われる。

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今日の讃岐うどん王国はどうして築かれたか?

それは、金毘羅参りが起源であると云われる。
金毘羅信仰の広がりに伴い、参詣者用に門前に旅館が開業され、その旅館の一階をうどんの食堂としたのが讃岐のうどん店の始まりと云われる。
うどんをゆで上げる勢いのある湯気、そして出汁の香り、お参りする人には堪らなかったのであろう。
大いに繁盛したと云われる。

そして丸亀や坂出の船着き場にもうどん屋さんができて、人気を博したのでもあった。
その後、国鉄の宇高連絡船が開通した時に、船のデッキや高松駅構内にもうどん屋さんが開業して、流行ったそうである。

なぜ、讃岐うどんブームが起きたのか?
それは、美味いことと、人為的と、の相互作用によるものと思われる。

ブームには、いくつかの波があった。

まずは1970年の大阪万博への出店と、知事・県のたゆまない宣伝努力であった。

その後、瀬戸大橋の開通で、四国への観光ブームとなったことである。
それに呼応して、スーパーで冷凍うどんが売られるようになったこともある。

欠かせないのは、雑誌「麺通団」(ゲリラうどん通ごっこ軍団)と本「恐るべきさぬきうどん」の影響により、香川にうどん客が増え、それをマスコミが露出したことにより、大流行したことである。

そして、高速道路の低料金化でうどんドライブがブームになったことは、ごく最近のことである。

また、うどん店の香川県外進出により、讃岐うどんがどこでも食べられるようにもなっている。

このように今や、うどんと言えば讃岐、腰のある麺と言われるようになった。
しかし全国各地には、色んな美味しいうどんがあるのも事実である。
それぞれ持ち味を楽しみたいものである。