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 山陽本線JR明石駅で途中下車した。
明石には何があるのか?
まず思い浮かぶのは日本標準時の基準線、東経135度の子午線、しかしこれは目に見えない。
 明石鯛と明石蛸、それに玉子焼きと云われる明石焼き、明石海峡大橋、そして明石城址、盛り沢山である。
 まず駅前にある明石城址に行ってみる。
駅前の信号を渡って堀に沿って少し行くと、明石城址の入り口である。
広い明石城址、現在は県立明石公園として整備されている。
図書館・野球場・陸上競技場など文化体育ゾーンがあり、そして広大な敷地、市民全体の憩いの場となっている。
 折しもシーズンである。
野球場では高校野球の兵庫県大会が行われていた。
 城郭は、中央に本丸・天守台を囲む城壁・櫓が残っている。
下から見上げると左に坤櫓(ひつじやぐら)、右に伏見城から移築された巽櫓(たつみやぐら)が高い見事な石垣の上に聳えている。
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 それぞれ本丸から見て、その方向にある櫓とのネーミングであろう。
どちらも重要文化財とのことで、江戸時代のままに佇んでいる。
 明石城を築城したのは小笠原忠真。築城して直後豊前国小倉藩に転封となった。
この明石藩は初期のころ城主の入れ替わりがめまぐるしかったと云われるが、最終的には結城秀康の孫、従って家康の曾孫、松平直明が藩主として入封、のち、江戸末期まで続いたと云われる。
 明石城址を一周して目指すは魚の棚。
魚の棚、地元では「うおんたな」と言うらしい。
明石駅の南側の、駅から少し離れたところにある東西の魚市場商店街である。
 ここで食べる明石焼き、現地では「玉子焼き」がことのほか美味しいとは良く聞く。
駅から歩くこと5分位で商店街入口に到着した。
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 少し歩いてみる。
魚屋さんが軒を並べている。
しかし、今は眺めている場合ではない。
明石焼きへ急ごう…。
 玉子焼き、明石焼きの幟がそこここに立っている。
店の選択が大事である。
どこが美味しいのか予備知識なし。
流行っている店を選ぶべきだろうと、店の中を眺めながら歩き、少し行列の店を選んでみた。
商店街のほぼ中央の「T」と云う店である。
 名前を書いて呼ばれるまで待った。
そして、カウンター席に案内された。
 注文は勿論明石焼き…。
カウンターにパウチチラシが置いてあった。することも無く読んでみた。
その中に「うおんたなの歴史」と云うのがあった。
少し紹介すると、
『魚の棚商店街の場所で商売が始まったのは約400年前のことです。
初代城主・小笠原忠真が信濃から明石へ移封された1617年、その翌年から明石城築城を開始し、城下町の線引きを担当したのが宮本武蔵と伝えられています。
  ・・・・・(中略)・・・・
城に近い一等地に魚町が置かれていたことから、当時より明石では魚が重視されていたことが分かります。』
 宮本武蔵も登場とは、少し驚いた。
 待つこと10分ぐらい、明石焼きが出てきた。
盆からはみ出した薄朱塗りの片流れの板の上に玉子焼きが15個、少量の三つ葉も載っている。
それに出汁を入れた注ぎ椀と深めの取り皿…。
演出からして美味そうである。
 食べ方である。これもチラシに書いてあった。それに従ってみよう。
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『1.最初は出汁なしで、そのまま1つ』
表面はこんがりだが、中はトロトロ…。タコが1切れ。殆ど味がない。
『2.出汁に付けて3つ』
出汁もアツアツである。薄めの出汁であった。まだ頼りない。
『3.出汁に”三つ葉”を浮かべて6つ』
三つ葉を入れて、その香りも楽しみながらと云うことであろう…。
少し雰囲気が出てきた…。
『4.”抹茶塩”を明石焼に少しまぶして2つ』
これはいけるかも…。
しかし塩味のみになってしまった。
『5.出汁に”抹茶塩”を少し浮かべて3つ』
これはいける…。濃い味付けになる。 これが一番美味い。
 と云うことで、あっという間に食べ終えてしまった。
『当店は体によい油・・”オリーブオイル”を使用しておりますので、ヘルシーで胃にもたれにくいです。』
と締めてあった。
 大阪のソース、マヨこてこてのタコ焼きに比べると、月とすっぽん。
どちらが月かは分からないが…。