ある時、仕事を終えて行きつけの居酒屋へ行った3人組があった。
大阪本社の中堅電機メーカー竹上電機の東京支店の支店長と営業社員たちである。

「らっしゃい」の声に促されて、いつものようにカウンターへ並んで腰を下ろした。
後方の小上がり座敷で女性グループがもう出来上がっているようで、賑やかな大声の話が漏れてくる。
ABがどうのOがどうのとか、どうも血液型の話をしているらしい。

お手拭きが出てビールが出るまでの数分間、耳を傾けた。
「おう、血液型か…。最近はあまり聞かないなあ…」
「そりゃそうでしょうよ…。テレビ番組の行き過ぎが批判されたし…。それに何の根拠もない話だと思いますが…」
「そういや、テレビでは言わなくなったね…」

「よく似た話で日本人を分類したがるケンミンショーってありますが、あれも県民気質ではなしに、産物とか食べモノとか事実に基づくネタしかやらなくなりましたね…」
「100万や200万の県民が皆同じ気質だったら、怖いからね…。そんなことはあり得んな…」

「ところで、畑山君は何型?」
「O型みたいです。母親から言われました」
「木下君は?」
「O型と言われてますが…」
「そうか…。俺はある時B型に確定した。それまではO型。その前は不明」
「血液型って、そんなにころっと変わるもんですか?」

「変わると言うか、俺らの子供のころには、みんな知らなかった。血液型なんて、調べられていないよ。今は病院でお産をするから、病院が子供の血液型を調べるが…。と言っても、とりあえずは、A、Bの抗体反応だけを調べておく…。しかしな、当時は家で産婆さんだ…。血液型なんて、調べる手段も抗体もない、そして必要もない」

「高校卒業して大学へ出た時、文化祭かなんかで、血液型調べますって、医学系の学生の屋台があって そこで、調べて貰ったらO型と出た。ただし、見たらB型抗体とは微かに反応していた。1割か2割程度のB型抗原があるという、どっちか言うとO型、が結果だった」

「赤血球に含まれる抗原のことですね。ABO式の赤血球型分類の…」
「畑山君は詳しそうだね。専門は確か工学だったね…」
「生命工学でした。人工血液を工業的に造る研究室にいました」
「工学部では、そんなこともやってるのか?」
「やらないと、医療は進歩しないでしょう? 工学が医療機器や体を治療する機材や物を作って、医者がそれを使って、患者さんの命を守るのです。そう言う関係です。医工学がなければ、医療は進歩しないんです」

「そうかそうか、わかったわかった。話を元に戻すよ…。なら、何でABO式分類が主流になったんだ?」
「血液中の因子って、何十も何百もあるんです。輸血という時には詳しく調べますが、とりあえずは大まか分類しておけば便利だからです。それでA、B抗体を使って4種類に分類してるだけです。管理の都合です。本当は血清や血小板の抗原も合わせて、30種類ぐらいに分類しておく方がベターなんですけど…、管理が複雑になります。ただそれだけの単純な理由です」
「そりゃそうだな、4種類だと便利だな…」

「じゃあ聞くけど、血液型による性格ってあるのか? 良く言われてるけど…」
「医学的には全く根拠はありませんよ…。証明データがあるって言われてますけど、かなり限定的な身勝手データです」
「じゃあ、A型の特徴とか何やかやと言ってるじゃない。それはどうしてだ?」
「それは、単純な話です。それはですね…」
と、滔々と畑山君はしゃべり始めた。

「ABO式は100年ちょっと前に発明されたんですが、主には軍隊で利用されたんです」
「そりゃ頷ける。負傷、輸血に直面しているからな…」
「血液型の不埒な利用の最たるものが、ナチスドイツだったんです。ヒトラーはA型だったそうです。ユダヤ人虐殺の根拠を得るためにユダヤ人に多いB型をこき下ろして、A型は優秀、B型は劣るということを大宣伝したのが血液型と気質の関係の始まりとされています」

「また、日本の軍隊でもトップの血液型に応じて、隊が編成されたりしました。血液型分布から、多いのはAとOと言うことですから、AとOが幅をきかせ、その血液型も優秀となってしまったようです」

「それだけのことか…。それが何で細かな性格分類に…」
「それはご存じだと思いますが、能見正比古氏の本です。彼は東京オリンピックや大阪万博の高度成長期の頃に、血液型人間学の様な本を出していったのです。それが世間に受けました。その流れが今でも続いています。後の座敷の女性方も、そのネタで喋っているのです」

「何で、そんなもの売れたんだ? 俺も買ったけど…」
「それには。深い話があるんです。その頃までは輸血は売血が主流だったんですが、ある事件、ライシャワー事件とか言うんですが、それが起こったあとで、売血禁止、献血に限るという制度に改められました。しかし、そんなに沢山の献血がある訳ではありません。当時は、年間4~50万人ぐらいでした。これでは血液は不足します。献血オンリーの制度に移行した頃、この本が出たのです。ラッキーだったのは、献血事業者です。『献血によって、あなたの正しい血液型を知ろう・・』とPRしたのです。そのために、血液型と性格の関係に注目させたのです」

「そういや、俺もこの本読んで、自分の血液型を正確に知らなくてはな、と思って献血に行った。あなたの血液型はB型です、と後日葉書が送られてきた。微少にでも抗体反応すると、その型になるのか、と思ったね。その時からB型になった。あの頃は面白半分に献血に行ったね。会社にも献血バスが来たし…」

「そうでしょう。性格分類が引き金になったんです。たちまち献血は10倍になり、平成の時代には20倍までになりました」

「他にもはたちの献血なんてPRも凄かったね」
「とにかくPRしたのです。それで血液が確保できたのは良いことです」

「じゃあ、献血事業者と能見氏の策略と言うことかな?」
「そうとも言えますね…。血液型と性格はその申し子とも言えます」

「しかし最近は献血が減っているという話を聞くがな?」
「そうです。かなり減りました。10代20代の献血が減ったからです。逆に50歳、60歳の献血は増えました。それは『血液検査データをお届けします』というサービスをしているからです。病院での検査は何千円か掛かりますが、無料で健康管理につながるのが良かったのでしょう…」
「いろいろ、あの手この手があるんだな…」

「献血を増やすために、性格分類を考えだしたというのは、面白いね…。献血事業者に性格分類の助けか…。つるんでたんだろうけどね…」
「献血が増えて良かったけれど、A型がどう?、B型がどう?、と小ネタにする人も、一杯できた。まあ罪はないから許そうか…?」
「許してあげてください。献血の犠牲者なんだから…」

「そうしよう…。今日の呑みはいつになく充実した。今日は俺の奢りだ」
と三輪支店長は気分が良かったこともあるが、太っ腹なところを見せたのであった。