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入試は終わった。
2人ともできた感触はあった。
あくる日一緒に、新聞で答え合わせをした。
所々に間違いはあったが、9割方はできていた。
早速グラブと浩也のおじいちゃんから貰った硬球を持って、公園にキャッチボールに行ったのであった。

杉岡中央高校は1年生の時からコースによりクラス分けがされる。
健太は進学文系、浩也は進学理系を選んだ。
その手続きをして、次に野球部の門を叩いたのであった。

「おゥ~。お前ら合格したか…。そりゃおめでとう…! 練習は厳しいぞ!。ケツを割るなよ!」
監督がたまたまいて、喜んでくれた。

一か月ほどしてから、春の県大会が始まった。
一年生は皆、スタンドで応援した。

ベスト8で鴻城館高校と当たった。優勝候補である。
8-1のコールドで負けてしまった。
その後も鴻城館は勝ち続け、優勝した。

夏の甲子園県予選が始まった。
今度は準決勝まで行った。
帝都付属に勝って、甲子園も見えてきた。
しかし、今度の相手はまたもや鴻城館である。
5-1で負けた。
引退する3年生の甲子園の夢はかなわなかったのであった。
「きっとお返しして見せます。見ててください先輩!」
と全員で約束したのであった。

3年生が引退すると、2年生1年生だけのチームとなる。
練習は学年の境目がなくなる。
選手登録も比重は2年生であるが、1年生も加えられる。

秋の県大会が始まった。
この大会に勝てば近畿大会に出られる。
近畿大会でベスト4に入れば春の甲子園は確実になる。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。

12

次の夏、甲子園の県予選となった。
健太も浩也もベンチ入りは果たしていた。
健太はリリーフ要員、浩也は代打要員である。
準決勝まで来た。
帝都付属と当たった。
初回に打たれ、あっさり負けてしまった。
健太も浩也も出番はなかった。

そうこうしてるうちに秋の大会が巡って来た。
健太も浩也も上級生である。
エースバッテリーとなっていた。
県大会の決勝の相手はまたまた鴻城館である。

もう鴻城館は恐くない。
楽に勝負ができた。優勝である。
地区大会まで行った。
しかし近畿大会では大阪の強豪と、いきなり当たってしまった。
これに勝てば春の甲子園と思ったが、これも問屋が卸さなかった。

次の年は最後の夏である。
万全の態勢で県予選に臨んだ。
決勝まで行った。
今年の相手は同じ公立の県立商業である。
若葉クラブで一緒だった高ちゃんがいる。

しかしなぜか劣勢であった。
あれよあれよという間に点差が開いてしまった。

1-5で9回表を迎えていた。
もう勝ち目はないというスコアである。
斎藤浩也の打順からである。
「打って、あのピッチャーの鼻をへし折ってやれ!!」
監督から激が飛んだ。

最終回のトップバッターである。
浩也は何とか塁に出てやろうと思った。
カウント3ボール-1ストライクである。
恐らく次はストライク、バッティングチャンスである。
来た。

ど真ん中。
バットを振った。
軽やかな感蝕であった。
ボールは外野を転がっている。
2塁まで行けた。

13

次は健太の打順である。
4点差である。
ランナーをためるのが大事である。
健太も思いっきりバットを振った。
当たった。
セカンドの頭を越したヒットである。
ランナー1、3塁となった。

ここで相手側はピッチャー交代した。
交代は良かったが、ストライクが入らない。
たちまち満塁となった。

次は杉岡中央7番の葉山である。
ヒットが欲しい。
打った。
抜けた。
ランナー浩也と健太が還った。
まだランナー1、2塁で残っている。
おまけにノーアウトである。

打つか?バントか?悩ましいところである。
監督はヒッティングを選択した。
8番山重、下位ではあるがスラッガーである。
ホームランもある。
初球を狙った。
スコーンとボールが空に向かって弾かれた。
3人のランナー、ゆっくりとホームインした。
逆転である。

この後も点を追加した。
8-5になって、9回裏を迎えることになった。
ピッチャー健太も疲れている。
「さあ行くぞ!!」
と声を掛けた。
力み過ぎである。
最初のバッターにはフォアボールを出した。

それで落ち着いた。
キャッチャーミット目掛けてボールが行くようになった。
2塁ゴロで1アウト、ショートゴロで2アウトまで来た。
後一人である。
低めに投げた。
低すぎた。
暴投である。
ランナーは進塁した。

キャッチャー浩也がマウンドに来た。
「健太、ランナー気にすんな! 2点までお前にやる。思い切って投げろ!!」
いつか聞いた言葉である。
気楽になった。
「うん」
と頷いた。

14

相手の方が土壇場である。
こっちは余裕がある。
気持ちは、打って見ろ! となった。

健太は渾身のストレートを投げた。
ボールは浩也のミットにしっかりと収まった。
見事三振、優勝したのであった。

夏の甲子園、道は繋がった。
健太も浩也も長いことかかって切り開いてきた道であった。

〔完〕

 

〔余談〕

夏の甲子園、今年も都道府県大会を勝ち上がった選手たちが甲子園へ集合した。

地元の人たち、関係者の喜びとご苦労はいかばかりのものだったであろうか?
祝福申し上げたいと思う。

今年も地方大会に参加したのは約4000校。
その中から49校が選ばれる。
狭き門である。
しかし狭いからこそ、その価値が大きいものだと思われる。

高校球児にとって甲子園へ行ける確率はどれくらいのものであろうか?
春・夏で2年間のチャンスがあるとして、述べ170校が甲子園へ到達する。
うち、約40%が連続出場だったり、この間の複数回だったりの出場である。

それを差っ引いて、甲子園への到達は100校ぐらいである。
1校当り平均20人の部員がいるとして、2000人が甲子園へ行けることになる。

先ほどの4000校X20人=80000人の中から、2000人であるから、
甲子園へ行ける確率は2.5%となる。

野球少年の甲子園への道は、全くもって狭き道であるが、汗と涙で目指している。