少しの沈黙があった。
「秀吉殿、それに半兵衛殿、遠路ご苦労でござった…。播磨は我らがご案内仕る。付いて参られい!」
と官兵衛隊はもう先導を始めたのであった。

秀吉隊は官兵衛の先導にて、明石砦、野口砦で少し立ち止まり、官兵衛の挨拶を待った。
そしてまた進み出した。
そして国主小寺政職のいる御着城までやって来たのであった。

目的の小寺への挨拶となるところであるが、隊列を止めたままで、官兵衛だけが入っていった。
そして戻って来て、借りていた御着城の兵を返した。
「皆の者、御役目ご苦労であった。殿も至ってお慶びでござる…。さあ戻られよ」
と、労をねぎらうのも忘れていない官兵衛であった。

次に秀吉の方に向き直り、姿勢を正して、
「秀吉殿、お待たせ申した。まずは拙者の城にて、旅の疲れを癒されるがよかろうぞ」
と官兵衛の勧めにより、秀吉隊は御着城へは立ち寄ることなく、そのまま官兵衛の姫路城へと向かったのであった。

秀吉はもう官兵衛のペースに嵌まっている。
言われるままに付いて行ったのであった。

御着から姫路は至近の距離である。
秀吉隊はまず姫路城に入城した。
当時はまだ大きな城ではない。
1000人も入れるのかとの心配はあったが、そこは官兵衛、抜かりはない。
こうなることを予想して、既に周りの屋敷、旅籠も手配していた。
見込み通りスッポリと収まったのであった。

姫路城内にて秀吉を上座に押し上げて、官兵衛は言った。
「木下殿、半兵衛殿、こ度の御役目まことにもって、ご苦労でござる…。道中恙なきご様子、さすが信長殿、秀吉殿、半兵衛殿の御威光でござろう…。この上は、この官兵衛、秀吉殿を引き続き御案内の役目をさせて頂く積りでござる。この城を貴殿の本陣としてお使い下され…」

「なッ、なんとおっしゃる官兵衛殿…。貴殿の城ではござらぬか?そのようなことは、でき申さぬ。じゃが、暫くの間、居候をさせて貰えるなら、それはありがたいことじゃが…」
「それはどちらでも構いませぬ…。我らは早速、離れの方にうつりましょうぞ…。ご存分にお使いなさいませ…」

官兵衛がなぜそこまでするのか、謎ではある。
官兵衛はかねがね、信長・秀吉そして半兵衛の将来に掛けようと思っていた。
本日、秀吉、半兵衛にま見えて、その人となりに触れ、その決心が固まったことには間違いがない。

秀吉は官兵衛の配慮に大いに感激したのであった。
「官兵衛殿、忝い…。恩に着る…。暫く居候させてもらうわ…」
その日は、長い一日の終わりとなったのであった。

あくる日になった。
小寺城主のへの挨拶へ、出向く日である。
しかし、先ほど官兵衛の元へ小寺の手の者から申し渡しが来ていた。
それによると、
「秀吉殿は登城に及ばず…。官兵衛も以後登城に及ばず…」
であった。
官兵衛は事情が良くわからなかったが、それはそれで手間が省けるとは思った。

しかし半兵衛はそれなりに見ている。
「官兵衛殿、我が方の細作(スパイのこと)からの知らせによれば、小寺殿は三木の別所と誼を通じた様子でござる。しかし、優柔不断な小寺殿であるからして、城門は閉ざしたままである。恐らくは、我らと一緒に三木攻めはしたくないと云うことでござろう。そして三木の守りにも行かない、何もしないという様子でござろう」

この時点でもう既に秀吉軍は、ここまでの状況把握・分析をしている。
「こやつらは、普通の者達ではないな…。儂の思った通りである…。こりゃ敵に回すと大変じゃわい」
と感服したのであった。

こんなことは、半兵衛にしては当たり前のことである。
官兵衛に感服を与えるほどのことではない。
細作などは、使っておくのが戦争では常識である。

情報もろくにないのに戦うと云うのは、どだい無茶な話である。
もう腕力だけで勝負がつく時代ではない。
情報だけで戦いに勝ってしまえば、それに越したことはない。

『百戦百勝は善の善なるものに非ず、
戦わずして勝つ、これこそ善の善なるものなり。』
官兵衛も孫子の兵法は熟知しているのであるが、実践は伴ってはいない。

信長軍には一日、いやそれ以上の長があると、官兵衛は素直に思い、早速取り入れようと学んだのであった。

秀吉も心得たものである。
「小寺殿が出ないと云うなら、出ないでいいわい…。もともと戦力に数えてはいないでのゥ…。三木に行くぞ、全軍に指示を出せ!!」

秀吉は早速、官兵衛の案内にて三木城へ向かうのであった。

小寺の助力が無いので、当座は秀吉軍と官兵衛隊を合わせた人数しかない。
御着城の監視に100を置いて、加古川の砦までやってきた。

この加古川で、三木に加担する者を除いて、軍議を行い軍を整え三木に向かう積りであった。
召集は官兵衛の手で既に昨日かけていた。
さて、どれくらい集まったのであろうか・・?

野口城の長井、高砂城の梶原、神吉城の神吉、志方城の櫛橋、参集を期待していたのであったが、皆来なかった。
これでは話にも何もならない。
無視された秀吉は、「三木へ進撃…」と一言、それ以上は黙して語らずであった。

播州の城主達、後で分かったことであるが、
秀吉が他国に侵入し、助力を借りないと戦いもできないのに、その上から目線の態度に許せなかったとういうことであった。

一方、秀吉は播州の人間はそんなに甘くないことを思い知ったのであった。

しかし秀吉は秀吉、
「そのうちに、全部やっつけてやるわィ。見てんしゃい…」
余り気にしてはいないのであった。

半兵衛は、そして官兵衛は、
「播州の奴らに見せしめをすべきである」
と手近の野口城をまず攻撃することを秀吉に勧めた。
播磨の人達の戦に関する実力を見たかったと云うこともあった。

播州兵は弱い兵ではなかった。
その証拠に、秀吉軍の野口城の落城は青息吐息であった。
兵の不足を感じた半兵衛、信長に援軍・援兵を要請した。
兵は1万まで増えた。
そして兵が整い、いよいよ三木城攻略となったのである。

三木城は明石の北方約20km、姫路の東方約30kmの地点にある。
広い平地の中央にある平城である。
当時、三木は東播州の中核都市であった。
別所長治が城主である。
長治は信長が足利将軍を奉じて入京した時点で、信長への帰順を表明していた。

しかし信長の一向宗への扱いや、播州安定政策へと、秀吉を投入した不満から信長良しとしない者の集まるところ、即ちに不満の拠点ともなっていた。

そして、直接は長治と秀吉との折りが合わ無かったのが引き金となり、信長との対決姿勢を明確にし、毛利方との誼を通じるようになったのである。
勿論、毛利方の安国寺恵瓊などの執拗な調略があったことは言うまでもない。

秀吉は本陣を城の北東約2kmの平井山に砦を築き三木城攻めを行うことにした。
播州の武将たちは官兵衛以外、ほぼ反信長・秀吉派になってしまっていた。
三木の城に集結して戦う姿勢を強めていた。
戦いの火ぶたは切られたが、戦線は膠着、一進一退で、このままではかなりな長期戦になる模様であった。

一方播州の西の奥、備中国に近いところに上月城と云う元毛利方の城がある。
信長に帰順して、その勢いで出雲国の再興を図ろうと云う尼子勝久とその家臣山中鹿之助が毛利から奪って根城としている。
そして信長軍の西国攻めの橋頭堡として機能していたのであった。

秀吉隊が総力を挙げて三木城攻めを行っていた時、毛利はその隙を突いて上月城を攻めた。
放っておけないと信長軍秀吉は三木城に監視隊3千を残し、病のために動くのもままならぬ半兵衛に指揮を預け、上月城へ向かったのであった。

上月城を囲む毛利方は5万。
秀吉も直ちに信長に援軍を要請した。
信長方も5万となり、対峙したまま戦線は膠着状態となった。

このまま対峙続けると三木も危ないと思い、秀吉はひそかに安土に駆け、信長に問うた。
「いかがいたしましょうや?このままでは、上月は守れても三木は危のうござる…」
「猿! 山奥の上月はもういい。三木に集中せよ! 必ずや三木を落とすのじゃぞ! 村重、禿、それに信忠にも良くいっておけ! 負ければ、そこで自害せよ、とな…」

「御意、大殿どの、しかと心得たり。必ずや播州を手に入れて見せましょうぞ。信忠様も凛々しくお働きのご様子。御安心召されィ」
「しかしな猿。調子に乗るなよ。足元救われるぞ。 それだけは気を付けろよなァ」
「御意、では早速、参ろうぞ…」

信長軍は三木に集中することになった。
そうなると悲惨なのは上月の尼子と鹿之助である。
毛利軍にたちまち落とされた。

城兵は助けると云う条件で、尼子勝久は自害。まだ若き26歳であったと云う。
お家再興を目指して頑張ったのであるが、あえなく事半ばで撃沈してしまった。
哀れである。
鹿之助というと、毛利の囚われの身となり安芸へ護送される途中で、吉川元春によって殺害されたと云う。

これで毛利方に、三木までの後退を余儀なくされた信長方であった。
三木の別所以下の反信長勢力、毛利軍が上月城の余勢をかって三木の援軍にと期待をしたが、これも来なかった。

毛利も毛利である。
将棋の駒のごとくに城や兵士を扱う。
人や土地に対する思いやりは殆どない。
戦国時代とはそういうものであったのである。
いや戦国のみならず現在でも、そうなのかも知れない。

上月城に大挙して援軍に行った信長軍であったが、毛利軍とは十分な戦いもできず、城を落とされ、尼子勝久と山中鹿之助を奪われ、散々の体で三木まで戻った。

どうしてこのような惨めな結果になったのであろうか?
信長軍はこんなに弱かったのであろうか?

それは信長の武将に対する評価の仕方が原因である。
戦いでは、その軍の大将の功績しか認めない。
援軍は当たり前で、援軍の功績は認めない。
古参・新参の序も認めない。
多くの武将の中から目立っている者に、戦いのチャンスを与える。
冷たいようだが、決してそうではない。
近代的・合理的である。

しかし、各武将にとっては、すんなりと納得ができるものではない。
今回の播磨攻めは、秀吉の戦いである。
勝っても負けても評価は秀吉のみであることをよく知っている。

援軍に行った村重、光秀、滝川、筒井などは、無駄な労力は使いたくない。
援軍たちは、適当にやっておこうと云う気分が蔓延していたのも原因であった。

とにもかくにも、信長軍は大挙して、三木城と対峙する平井山の砦へと戻った。
留守の間は半兵衛隊3千が守っていた。

播磨の外れの上月城に固執していたら、ここも危うくなっていた筈である。
半兵衛の逐次戦況判断で連絡を取りながら、ぎりぎりのところで、帰って来られたのも事実である。

しかし、半兵衛の病状も、かなり悪くはなっていた。

「藤吉郎殿、よう御無事でお戻りなされなました。官兵衛殿、戦況はいかがでござったかな?」
「おぅ…。半兵衛殿、留守居の勤め、誠に忝けなかったでござる。苦労をかけ申した。」

「半兵衛殿、上月は誠に歯がゆい思いをされたでござろう。しかし、既に勝負は付いてござった。もとはと云えば毛利の出城じゃからのう。地元の豪族達が、ここぞとばかり、尼子や山中に恨みを晴らす戦いじゃった。我らの出る幕はなかったのでござる」
と官兵衛も戦況を述べた。

「そうじゃのゥ…。元はと云えば、我が方が取り上げた城じゃからのゥ…。尼子殿や山中殿には気の毒であったが…。しかし、そういつまでも上手くは行くまいな…」
半兵衛も相槌を打ったのであった。

「半兵衛殿、お体の方具合はいかがなものかな?」
「いやァ、一進一退でござるよ。もう先は長くないような気がしてな…。動ける間にな…。お館様に、永のお暇を戴いて来ようと思っておるのじゃが…」
「安土にのゥ…。それは良かろうが…。その前にな…、三木の戦じゃ…」

「分かってござる。その前にな…。貴殿らに言うて置きたいことがござる」
「もう、十分にご教示賜ってるがのゥ…」
「最後だと思って、聞いていただこうかのゥ…。戦いはのゥ…。孫翁が言うとおりにな…。敵を知り己を知れば、百戦百勝も、危うからずじゃ…。

もっともっと、敵を知りなされ…。毛利をそしてその土地を知りなされ…。敵の布陣、土地柄、人の気質、……。知れば知るほど、勝ちに近づくのじゃ…。
そうするとな、戦わずとも勝てるようにはなるものじゃ。
血を流し合うのは愚の骨頂じゃからな…。

そして己もな…。己の方が難しいぞよ…。すぐ手のひらを返す輩がいるからの…。武将には一番大事なことじゃろうな…。裏切りを出さない…。それぞれやり方が違うが…。根本は同じじゃ。雑兵に至るまでな、大切に扱うことじゃ…。

貴殿らにはでき申さぬであろう? しかし、そうしないとこの先、貴殿らは危ないぞ…。藤吉郎殿は、織田の中で人気がない。成り上がり者と云われておる…。じっと我慢して、それなりに処しておけば、大丈夫かと思うがのゥ…。

官兵衛殿、貴殿もな播州を裏切った形にはなっておるぞ…。恨まれているぞ…。 しかしな、三木の城を潰せば、人の気持ちも変わるでのゥ…。それまでの辛抱じゃ…。

最後にな、大事なことを言うておこう。皆、勘違いしておることじゃ…。

自らが造った訳でもないのに、手に入れたら自らのものと思い、好き放題にしようとするのは、愚の骨頂であるということよ」

「それは、何のことでござるかな?」
「簡単なことだ、土地じゃよ、それに人、領民じゃよ。わかるかな? これらは神が造ったもんじゃ…。それを我らがお借りしておるだけじゃ…。このことだけは、忘れるのではない。

神のご加護を良いことに、暴れまわる奴もいる。中には神に異議申し立てをする輩もいるでのゥ…。何をか況やである。

このことを十分にわかった輩が事を成す。疎んじた輩は失敗する。肝に銘じておくのが良かろうと存ずる…。のゥ、藤吉郎殿、官兵衛殿…」
半兵衛はここまで、一気に喋った。

「ふ~ん、なるほどな…。神の土地、人じゃな…。我らはそれを一時、お借りしているだけとな…。感じ入りましてござる…」
と秀吉、肝に銘じた風であったが、この後の振る舞いはどうなるのだろうか?

「半兵衛殿、ごもっともでござる。我らが動くのは領民のためでござるな…。争い事は、無くしたいものでござるな…。肝に銘じておきましょうぞ…。ご教示、感謝申し上げまする」
官兵衛は官兵衛なりに感じ入ったようであった。

「藤吉郎殿、官兵衛殿、それじゃ大殿様のところへ行ってまいるぞ…。戻った時には、播州は平らかになっておるようにな…。抜かりなくな…。さらばじゃ…」
と半兵衛は安土に向けて出発したのであった。

さて、東播州三木城の戦い、秀吉方から見れば三木城包囲作戦、三木別所方から言えば三木城籠城作戦、時々城内から撃って出ての小競り合いはあるものの、大した進展はない。
このままいたずらに対峙を続けるのも得策ではない。
兵糧が豊富な地元軍の方が有利に決まっている。
しかし秀吉軍、いつ総攻撃するかどうかで、まだ迷いがあった。

秀吉は官兵衛に言った。
「半兵衛が言うたのゥ…、戦わずして勝つか…。このままでは我らの兵糧が尽きてしまうぞ。彼奴らの城内にはどれくらいの兵糧が残っておるんじゃろうかな? 運び込んだという話は聞かんでのぅ…」

「それは、ここは播州でござる。城方は、夜陰に紛れるか、我らの目を掠めるか、上手く運んでおるのでござろう…。隊全体に下知して、補給路を調べ封鎖するがよかろうと存ずるが…?」
「調べてみるか…。急がば回れじゃからのゥ…」

さっそくその夜、秀吉隊偵察隊は川を遡る小舟を発見した。
目を凝らして見ていると、城方に合図をした直後、城から数十名の担ぎ手が出て、荷物を城内に運んで行くのであった。

秀吉隊は、次の日も次の日も監視を続けた。
3日後、同じように、川から運び込まれるのを目撃した。
その他の城外の場所では、荷駄の運び込みはなかった。

「兵糧断ちができるやも知れませぬ。いかが致しましょうや?」
と官兵衛。

「官兵衛!
やってみるか…。
まずその川を封鎖するがよかろう。
しかし城に近いところは危険である。
川の下流でな…」
「そうでござるな…。そのように…」

「城外の川を封鎖せよ!! 合わせて、城に至る道も封鎖じゃ!!」
と秀吉の指示が隊全体に飛んだ。
「城の周囲の他の場所でも、運び込みがあるかも知れん。抜かりなく見張るようにな。気配があれば、直ぐに連絡をな…。すぐに駆け付けてやるでのゥ…。安心して見張ってくれよなァ…」
と労わるような秀吉得意のコメントも付け加えたのであった。

三木城の攻め、秀吉隊は対峙するほかすることが無いので、補給を邪魔することで、敵に戦を諦めさそうとしたのであった。
俗に云う兵糧攻めである。

特に意図した訳でもないが、成行き上、自然な流れにて、そうなってしまったのであった。
これには半兵衛の言う「人を殺すな」という教えが強く生きていたのではあるまいか。
しかし兵糧攻めの結果が出るまでは、ひと月ふた月と大層な時間がかかる。
そこは抜かりのない秀吉、あちこちと現場を動き回っては、労をねぎらったのであった。

この長い間には、いろいろなことが起こる。
信長軍に彗星のごとくに加わり、大将まで上り詰めた豪傑、伊丹有岡城の荒木村重が反逆したという噂が流れた。

村重は全くその気が無かったようではあるが、村重の瞬く間の栄達を妬んだ武将達がその噂を流したものと思われる。

村重のところに謀反の事実を確かめにきた信長の使いに村重は、
「謀反の気は全くない」
と答えている。

信長の所へ申し開きに行こうとした村重を止めた輩がいた。
それは茨木城の中川清秀である。
が、それを振り切って、あくまでも安土に向かおうとした。

そこに、追い打ちをかけるように光秀の使者を騙る何者かから早馬が到着した。
「信長様は大変なお怒りで、村重陰謀は明白と決められた。明日にでも参着あれば取り押さえ処分せよと言われている」
と伝えてきた。
光秀は村重の嫡男村次の岳父であったため、村重はその言葉を信じた。
そして、伊丹に戻り籠城することにした。
村重はまんまと、嵌められたのであった。

しかしまだ信長は村重に思いとどまらせようとしていたのであった。
その証拠に、秀吉に言いつけ説得に行かせている。
実際に説得に行ったのは、官兵衛であったが・・。

官兵衛はこの時はまだ小者である。
村重とは格が数段違った。

それでも官兵衛は、口角泡を飛ばし村重と議論した。
村重も二心は無いと云うし、官兵衛もそれを信じた。
「どうしたら、大殿信長は信じてくれるであろうか?」
と毎日のように言い合ったのであった。

10

結論が出ないまま、日が過ぎていく。
官兵衛が帰らないものだから、
「官兵衛も村重に驚かされて、裏切ったのに違いない。」
という、側近の言葉を信長は信じた。

ただ、半兵衛は病の床から、
「官兵衛は信用できる男である。よもや裏切ることはあるまい。天地神明にかけても、断言申す。」
と信長を説得しようとしたが、信長は受け入れなかったのであった。

「有岡城を攻めよ!!皆殺しにせよ!!官兵衛の子供も殺せ!!」
もう待てない信長は、このような命令を全軍に出したのであった。

有岡城の戦いが始まる。
三木城もまだまだ決着は付かない。
官兵衛もいない。

信長は半兵衛に、
「様子を見て来てくれぬかのぅ…」
と病の床に臥せっていた半兵衛に申し付けたのであった。
半兵衛も、もう先は長くないと思いつつ、死ぬのは戦場でと決めていたので、信長の言葉は渡りに船であった。

「大殿様、行って参るでござる。しかし拙者も先は長くござらん。これにてお暇いたしまする。この先は、是非ともご平らな天下をご所望申し上げまする…」
「そうか半兵衛、貴殿には世話になったのゥ…。これにて別れになるかも知れんか…。酒を持て!!」

信長は半兵衛のために別れの宴をした。
得意の幸若舞である。

『人間五十年、
下天の内を比ぶれば、
夢幻の如くなり

一度生を享け、
滅せぬもののあるべきか』

半兵衛、信長別れを惜しんだのであった。

あくる日、半兵衛は重たい体を引きずって、安土城を後に三木へと向かったのであった。
信長は哀れに思ったのであろうか?
弟の竹中重矩の部隊を同行させてくれたのであった。

11

竹中半兵衛は三木の戦場の秀吉方の砦の平井山にようやく到着した。
秀吉は丁度、砦にいた。

「半兵衛殿、よう戻ってき来んしゃった。作戦はのゥ…、もうちょっとで終わるところじゃ…。もう城内の兵糧は尽きておるわ…」
「そりゃ、ようござった…のゥ…。いよいよで…ござるか…」
「そうじゃ…。貴殿の人は殺さないで勝つと云う狙いで行ったんじゃ…。もう少しじゃ…」

秀吉は話を更に続ける。
「ところでのゥ…。大殿から、官兵衛の息子を捕えて殺せと云われておってのゥ…。官兵衛のことじゃから、我らを裏切ったとも思えんのじゃが…。殺したと云うことにしてのぅ…。……」

「なるほどな…。分かり…申した」
弟・重矩に向いた半兵衛、
「重矩…わかったであろう…。頼んだぞ!」
「兄者!! ようわかり申した…。お任せあれ…」
と岐阜に連れて行って、匿うことになったのであった。

「し・ば・ら・く…、休ま…せて…もらう…ぞ…」
と半兵衛、重矩に支えられ別室に下がって、横になったのであった。
そのまましばらくは眠っていたのであろう…。
寝息が重矩には聞こえていた。

重矩も行軍の疲れからか、うたた寝をしてしまった。
はっと目が覚めて半兵衛の枕元へ近づいたが、もう寝息は発していなかった。

「兄上!! 兄上!!」
揺すったり叩いたりしたが、戻っては来ない。
秀吉に知らせに、小者を走らせたのであった。

秀吉も来た。
取り巻きの輩もやってきた。
秀吉は、もう動かない半兵衛の遺体にとりすがり、人前もはばからず大声で泣き崩れた。
武将たちも一緒に泣いた。
そして一頻り泣いた後、半兵衛に姿勢を正し、静かに瞑目したのであった。

希望通り戦場で帰らぬ人となった半兵衛、皆に見守られながら平井山砦の中に埋葬された。
年齢は僅か36歳、稀代の名将竹中重治半兵衛、今もその場所で、静かに眠っている。

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