いろは順に駅を訪ねる旅はこれで終わりである。
これで「いろはシリーズ」4作目の完結となった。

このシリーズでテーマとした「駅」は便利なものである。
と云うよりも、その駅に人を届けてくれる交通機械は便利なものと言った方がいい。
歩くと時間が掛かるのに、短時間で届けてくれるからである。

ドラえもんに「どこでもドア」と云うのがある。
のび太は瞬時に行きたい目的地に行くことができる。
人が求める交通機関の究極的な理想的な形であろうと思う。

しかしどこでもドアを使っても人は、いっ時に同じ場所には立てない。
ドアを開けてその場所に行くまでの時間は掛かることになる。
それば瞬時であっても瞬時の後の時刻ということになる。

またいくら便利な世の中になったと云え、人は同時刻に同じ場所2ヶ所は立てないのでもある。
即ち、人は4次元時空間のワンポイントにしか立てないと云う不便さを抱えている。

だから人は歴史や地理を学ぶ。
それらによって時空間の移動を行い、見識を広め満足を得ようとする。
過去の時刻にいた人や同時刻に別の場所にいる人と情報共有することで自らを磨こうとするのである。

過去の人の業績が今どうなっているかを学び、そしてそれを讃え、あるいは批評して自らの糧とするのである。
また現在の人の生き様を学び、同様に讃えたり批評してしたりして自らの糧とするのである。

人間が、社会的動物と云われる所以である。

人は、時空間の放浪を止めて閉じこもった時、その中で一人ぼっちになってしまう。
一人ぼっちにならないために、これからも時空間の旅を続けたいと思う

〔駅旅いろは編 完〕