念願の北海道旭川の「男山(をとこやま)」をやっと手に入れた。
復古酒「男山」、純米の原酒で日本酒度-50である。

キャッチフレーズは『元禄時代の酒、今!ここによみがえる』である。

ラベルには、『この酒は約300年前の男山が酒造りを開始した時代の古文書をもとに、当時の濃厚造りそのままで再現した元禄時代の酒です。元禄の雅びをしのんで、ご賞味下さい。 木綿屋男山本家 O株式会社』と書かれている。

米麹と米だけで元禄当時の製法で作った酒である。

この男山を結構探し回ったのであるが、某デパートで見つけた時には、やっと、そしてほっと、と云う感じであった。

早速飲んでみた。

こんな甘い酒は飲んだことが無かった。
果汁のようなかなりな甘さを感じる。
しかし甘さを発するような砂糖のような混ぜ物は何も入れていないはずである。

米だけでこのような甘さが出るものであろうか…?
何か澱粉を糖分に変えるような唾液のような酵素を使っているのかも知れない。

あるいは米麹の育成に特殊な手法を用いているのかも分からない。
酒は全くの素人であるのなんとも云えないが、とにかく米だけでこのような甘さが出るというのは全くの驚きである。

かといって酒である。
喉越しはしっかりした日本酒である。
スッキリと味わえた。

総合して抵抗感のない美味しさであるので、小生のような素人には飲み易い。
そして、いくらでも飲めそうである。

しかし酒は淡麗辛口に限るという硬水派の人には、甘くて飲む気がしないのでは無いだろうか…?
それぐらいが欠点かも知れない。

さて味はこれくらいにして、ブランドの「男山」である。

男山は日本の清酒発祥の地と云われる兵庫の伊丹発の酒である。
時代は江戸初期寛文年間に遡る。
日本の酒造りの歴史はもっともっと古いが、商業ベースでの酒製造が始まったのはここ伊丹の、このころであると云われている。

伊丹酒の歴史について少し触れてみる。

伊丹の酒造りは、秀吉の天下の頃、伊丹の北部鴻池村に山中鹿之助の息子、新六幸元が住みつき、酒作りを始めたことに端を発する。

山中鹿之助は尼子家の当主勝久とともに、尼子家再興を目指し西播磨上月城に立てこもり毛利と対抗したが、織田軍秀吉隊の見限りによりあえなく敗れ、志半ばにして倒れた悲運の武将である。

その息子新六幸元は、武家の冷たさを目の当たりにして、別の形で身を起こそうと商家を目指したのであった。

最初は濁り酒を造っていた。
しかし、関ヶ原の戦の年に奈良の僧坊酒にならい、透明の双白澄酒(もろはくすみざけ)の醸造に成功した。
これが伊丹酒のスタートであった。

余談であるがこの新六幸元の家系はその後、酒造業で巨万の富を築き、後に大阪に出て、財閥鴻池を築いた人物である。
三和銀行と云えばご存じの方もおられると思うが…。

当時は伊丹は公家、近衛家の所領で酒株は八万石にも達していたと云う。
この株を背景に伊丹の酒造りは急成長したと云われている。

「男山」の創業者、木綿屋山本三右衛門もその酒造家の一人であった。
彼は清和源氏の末裔であることから、源氏の氏神である京都の男山八幡宮に参籠して、霊感を受け「男山」の銘柄を用いることにしたと云われている。

頃は元禄の少し前のころである。
伊丹の酒は江戸に下り酒として大量に出荷された。
中でも男山は銘酒中の銘酒として徳川将軍家御膳酒にも指定されたのである。

また、赤穂浪士が討ち入りの後で酌み交わした酒もこの男山であると云われている。
赤穂浪士が大願成就の折りに飲んだ酒かと思うと、感慨深いものがある。

しかしその後、世の中は変わった。
灘・西宮の酒が台頭し、幕府が重用した。
伏見の酒も一時は台頭した。
伊丹酒は近衛家の努力で少しは持ち堪えたが、大勢力と幕府の後援には勝てない。
伊丹酒は衰退の一途を辿ることになったのも事実である。

そして明治にかけて次々と廃業に追い込まれ、「男山」「剣菱」「松竹梅」などは新天地を求めて引き継がれていったのであった。

特に男山はブランド権利を切り売りしたりしたと云われる。
おまけに模倣も数多く出たらしい。
都合、全国には30近くの男山を称する蔵元が現在もあると云う。
それは、男山と云う酒銘がどれほど魅力的なものであるのかを示している証でもある。

この北海道男山は明治の30年ごろ、男山の前身であるY酒造が旭川の地で創業した老舗である。
旭川の地は万年雪の大雪山の伏流水を酒造に生かし、美味しい酒ができる。
冬は極寒の地でもあるので、酒がますます味わい深くなるのもその特徴であろうか。

男山のブランドを正式継承するには幾多の難関があったようであるが、昭和のそれも大阪万博の前々年の1968年、伊丹の山本家末裔から正統の印である「男山」の印鑑が継承され、O株式会社として正式に発足したのである。

伝統はライセンスの形で受け継がれたと同時に、発足当時の味も守って行こうと300年前の酒を復活したのでもあった。

清酒の世界には何百年もかけて守り通したブランド、新規に発足したブランド、それぞれ酒屋さんの店頭で並立する。
それはそれで日本酒の世界に活性化をもたらすものであると思われる。

これからも業界のため、呑み助のためにも、古きも新しきも頑張って行って欲しいと思う。

〔をノ酒 完〕