京都の伏見の街の西の外れ辺りに恵美酒町という住所地がある。
酒処伏見には似つかわしい町名である。
南北150m、東西は60mぐらいで、南北に流れる壕川と東高瀬川に挟まれた地域のその中にある小さな所である。
小さい街であるにも関わらず、伏見のメインの通り、大手筋にまたがっている街である。

やはり伏見である。
この町にも酒蔵がある。
正確に云えば酒蔵の有名な庭園がこの住所地にある。
「日出盛」や「桃ノ滴」で知られるM酒造の本社工場内の庭園である。
この庭園の表門や玄関は、京都市中にあった織田 有楽斎(うらくさい)の屋敷の玄関を移設したそうである。
また邸内には、応挙の掛け軸や徳富 蘇峰(とくとみ そほう)の揮毫があるそうである。
勿論のこと、国の登録文化財となっている。
因みにこの庭園・建物は「万暁院」と云う。
万暁と云うのは「一万回の暁(あかつき)」と言う意味で、酒蔵創業から30年を経たので、その記念に建設したと云われている。

M酒造と云えば、煉瓦造りの煙突と木造漆喰の蔵が素晴らしい。
伏見の酒蔵のランドマーク的存在である。

これくらいで伏見の恵美酒町(ゑびすちょう)のウオッチングは終了であるが、これで終わらない。
伏見は酒処、酒処のウオッチングに拡大してみよう。

上手い具合に、「伏見名水スタンプラリー」と云うイベントが開催されている。
11ヶ所の決められた名水処を回ると云うイベントである。
街全体をウオッチングするのには丁度良いので、その流れに乗ってみよう。

早速一番目の「御香宮」に行って、スタンプ台紙とスタンプを押しに行く。
伏見は豊臣秀吉に注目され、築城と城下町が造られたところであることは良く知られている。
城下町ができると、当然のことながら、酒が造られることになる。
上手い具合に伏見には桃山の伏流水「御香水」と名付けられた水が湧き出ていたのである。
この御香水を使って酒が仕込まれたのが伏見の酒である。

御香宮は神功皇后を祭神とする神社で、伏見地区の古くからの産土神である。

豊臣秀吉が伏見城を造営した時、この神社を城内に移し、鬼門の守護神とした。
しかし後に、徳川家康によって元の場所に戻され、本殿が造営された、表門は伏見城の大手門が移築されている。

明治維新の時の鳥羽・伏見の戦いでは、薩摩藩の本営となったが、本殿等は無事であった。
このような経過を持つ神社である。

次はキンシ正宗と云う酒蔵へ向かう。
御香宮から北へ行って、毛利橋通りを西進、伏見の図書館の所から北へ向かう。
途中、板橋幼稚園、板橋小学校を過ぎる。
学校の北に酒蔵があった。
これだと思い込み、その入り口を探すのに四苦八苦したのであった。

しかしこれは古い酒蔵で何処からも入ることはできない。
結局、入口は無いとの結論に達し、も一度地図を見直した。
すると、も少し北のような気がする。
行って見るとそこに、目的の酒蔵と常盤井水という名水があって、一件落着となってほっとしたのであった。

次は3ッ目である。
大黒寺というところへ向かう。
全く知らない寺である。
今度は地図をしっかり見ながら進む。
場所は伏見区役所の斜め北側である。

通りを確認しながら進んだ。
間違いなく見つかったのであった。
ここは真言宗の寺で、元々は「長福寺」と云ったらしい。
それが江戸時代の初期に、薩摩藩主島津義弘の守り本尊「出生大黒天」に因み、薩摩藩の祈祷所として、寺名を大黒寺と改名した。
本尊の大黒天は弘法大師空海の作と云われている。

ここの名水は「金運清水」、無事にゲットすることが出来た。

実はこの寺の前には神社がある。
「金札宮」と云う。
御香宮と同じくらいに古い神社で、社領も同じぐらいであったと云われている。
謡曲「金札」の舞台となっている神社で、天から金の札が降ってくると云う話である。
この神社にはクロガネモチという天然記念物もある。

寄り道したが、次に向かう。
次はキザクラカッパカントリーである。
伏見の町の南部に入って行くことになる。
そのまま真っ直ぐ南へ下る。

毛利橋通り、大手筋を横切り、黄桜酒造の直ぐ東の横の筋に出る。
そこから西にある入口に向かう。
カッパカントリーは食事処である。
昼にはランチもやっているが、やはり夜の呑みがメインであろう。
今回は食事には用はないので、スタンプを押して、早速次に向かう。
この時点で4ヶ所完了である。

黄桜の北東方向に伏見御堂と云う寺がある。
東本願寺の御堂である。
鳥羽伏見の戦いの時に会津藩200名が駐屯したところである。
門前に石碑が立っている。
これを見て南に向かう。

直ぐに通りに「鳥せい」本店がある。
この店の前に「神聖」の酒蔵がある。
「白菊水」には、水汲みの行列ができている。
店の入り口でスタンプを押して次に向かう。

鳥せいの斜め前の道を入ると「土佐藩邸跡」の石柱がある。
現在はアパートになっている。

そこから南へ下がる。
広い場所にでる。
旧町屋の酒の販売店がある。
その前を通り過ぎ、右に曲がって月桂冠の大倉記念館へ向かう。
玄関先で「さかみず」の6ヶ目のスタンプを押して、更に南へ下る。

十石船の乗船場がある。
その上の橋を渡り、長建寺に向かう。

この寺、江戸時代に創建された真言宗醍醐派の寺である。
江戸時代に伏見城が廃城になってから、伏見奉行建部政宇(たけべまさのき)が壕川を開拓するときに深草大亀谷の即成就院の塔頭多門院を分離して現在地に移築し、建部姓の一字と長寿を願いと名づけたのが寺の起こりである。

八臂弁財天(はぴべんざいてん)を祀り、名水は閼伽水(あかすい)という。
ここでスタンプは7個まで完了したのであった。

残りの4個は伏見の市街地からは遠いところにある。
歩くと大変なので車を使うことにして、今日の所はここで終了とする。

帰りに近くにある坂本竜馬が襲われたと云われる「寺田屋」、伏見口激戦の地の石柱、そして長州藩屋敷跡の石柱を見て、電車に乗ったのであった。

次の日、自動車にて伏見の外周部を巡る。

まずは名神高速道路の京都南インターに近い城南宮へ向かう。
城南宮は京都の南の護りの神社である。
近年は方除の神社として、住宅建設の時などに参られる神社である。
この神社の近くで鳥羽の戦いの火ぶたが切られた。
門前にはその説明パネルも建てられている。

城南宮の名水は「菊水若水」という。
スタンプを押して、次に向かうことにする。

次は伏見の料亭清和荘である。
「清和の井」と云う名水がある。
到着した時、丁度来客が帰る時で、大勢の仲居さん達が見送りに出ていた。
華やかな雰囲気である。
料亭らしく名水の所に紙コップも置いている。
味わってスタンプを押し、次に向かったのであった。

次は藤森神社である。
スサノオノミコトを始めとする古代の神々と、舎人親王、早良親王を祀る神社である。
勝ち馬の神として信仰が厚く、競馬ファンの崇敬も多いと云われている。
名水は「不二の水」で、ここも何人かの水汲み行列ができていた。

早速スタンプを頂き次に向かうことにするが、伏見のこの辺りは車の場合、一方通行がかなり長距離に及ぶので、結構回り道を強いられるので、注意を要する。

最後に向かう。
乃木神社である。
東の明治天皇の桃山陵の南にある神社である。
日露戦争で203高地を攻略し、日本軍を勝利に導いた大将の神社である。
ここもかつて訪れたことがある。
名水は「勝水」という。
スタンプを押し、11ヶ所、満願となった。

後は記念のプレゼントをもらうために、御香宮へ向かうだけである。
御香宮では利き酒用の名水会と閼伽水の銘の入った猪口を頂いたのであった。

伏見の忙しいウオッチング、無事終了となったのであった。

〔完〕