「わ」の駅は神戸のJR山陽本線の支線の「和田岬駅」である。

この駅に行くにはJRの兵庫駅から和田岬線の電車に乗って行くのが常道であるが、その電車は昼間は走っていない。
朝夕の通勤・通学時間帯だけの運行なのである。
しかし良くできたもので、最近神戸市の地下鉄海岸線ができて、この和田岬駅を通ることになっている。

今回はこれを利用し、和田岬駅に行くことにする。

神戸地下鉄海岸線は「三宮花時計前駅」が始発である。
そこから海岸付近を走り、鉄人28号が立っている「新長田駅」まで行く。

和田岬駅を降り地上へ出ると、そこにはJR和田岬駅がある。
駅舎も改札口もない。
あるのはホームと雨除けの屋根それに時刻表である。
兵庫駅からは間に駅は無く、ここが終点なので、改札業務は全て兵庫駅で行っているから不要なのだそうである。

この和田岬のあるところは、兵庫運河にて陸地から切り離された島状の地域になっている。
この和田の地域を2分するように中央付近を大きな通りが東北方向から入り、西方向に通り抜けている。
その通りの海側は大部分が三菱グループの敷地と云って過言ではない。
三菱重工神戸造船所、三菱電機神戸製作所、それに三菱神戸病院である。

この地の突端は和田岬と云い、そこには神戸港の燈台があり、また明治維新の頃には外国からの侵入船に向けた砲台が、あの勝海舟の手で造られたと云う。
そして灯台は移設されたが、砲台はまだ残っていると聞いていた。

文化財であるのでお願いすれば見せてくれる筈である。
三菱重工の正門まで行って守衛さんに聞いてみた。
「砲台を見たいんですが…」
「済みません、今はダメなんです。工事をしていて、来年の4月まで掛かるんです。そのころ来てください」
そんなやり取りであった。

仕方がないので、あきらめた。
丁度昼時であった。

工場の前にある店には大行列ができている食堂がある。
作業服の方が殆どである。
これは外せないな…、と思い店の前まで行ってみた。
立ち食いうどん・そばの店である。
何とメニューには「ぼっかけ」ある。
これは並ぶ価値ありと、並んだのであった。

10分ぐらいで調理カウンターに到着した。
迷わず「ぼっかけそば」を注文して出て来るのを待った。

空いているテーブルを探して、先ずは食べてみる。
「美味い…!」
思わず唸ったのであった。

ぼっかけとは牛筋を煮込んだもので、神戸の西、長田あたりの名物である。
このそばは肉そばと比較すると牛肉独特の臭みがなく、それ以上の美味しさである。
昼の少ない時間に行列してでも食べたいと思うのは全く頷ける話である。
店は「MSW」と云う名であった。

海側は工場ばかりなのでこれ以上探索することもままならない。
今度は通りから北側へ向かう。

駅の少し北側に小振りの「三石神社」と大きな「和田神社」がある。
三石神社の前には「神功皇后上陸此地」と云う石碑がある。
和田神社は元々はこの西南の海岸縁にあった蛭子神社であった。
そこに平清盛が市杵嶋姫大神(弁天さん)を勧請し、和田宮をなしたと云われている。
そして明治時代に、先ほどの造船所建設のあおりを受けて現在の地に移転したそうである。

お参りしてご朱印を頂き、更に北へと行く。
学校がある。
「県立兵庫工業高等学校」「県立神戸工業高等学校」と併記された校名が掲げられている。
こういうのもありなんだと思いつつ、更に北へと向かう。

兵庫運河の橋の手前に「薬仙寺」「萱の御所蹟碑」とある。
後醍醐天皇がこの近くで腹痛を起こしたが、この寺の薬水を献上されてたちまち治ったと云う謂れである。
また萱の御所は、清盛が後白河法皇を幽閉したところである。
三間四方の小さな建物だったそうで、「牢(楼)の御所」とも云われるそうである。

この先の兵庫運河には清盛橋が架かっている。
その向こうには、有名な清盛塚そして十三重の石塔もある。

運河に沿って西に歩いてみる。

暫く行くと鉄道の橋が運河にかかっているのを見ることができる。
JR和田岬線の鉄橋である。
かつてこの橋は運河に船を通すために回転式であり「和田旋回橋」と云われた。
しか現在は回転機構は取り外され、普通の鉄橋となっているが、これが最近物議を醸し出している。

運河に船を通すために「鉄橋を撤去すべし」「和田岬線を廃線にすべし」という意見である。
なるほどとは思うが、これは地元の人たちが決めることなので、何とも云うことはできない。

鉄橋を見て今度は南へ向かう。
大きな病院「神戸百年記念病院」と云うのがある。
元々は明治時代に作られたカネボウの兵庫工場に併設された病院だったそうである。
その100周年を記念してこの名前に変えたとのことである。

更に南に向かう。

住宅街の中に迷い込んで歩いていると大きなスタジアムが見えてきた。
神戸ウイングスタジアムである。
どこから入れるのかと探していると、家の間に小さな通路があり繋がっているようである。
入ってみた。
そこには神戸を走っていた市電が静態展示されていた。
その向こうに大きなスタジアムがある。
その周りを歩いてみる。

スタジアムにはノエビアのロゴが貼り付けられている。
なるほどなるほど、ネーミングライツと云うやつだな…。

この場所は元々はカネボウの工場であった。
太平洋戦争の空爆で破壊され、再建されないまま神戸市が買い取って競輪場としたのであった。
その競輪場も色んなことがあって廃止され、その跡地を球技場としたものである。

この屋根開閉式の球技場は、Jリーグのヴィッセル神戸、なでしこのINAC神戸、それにラグビーのかつてのチャンピオン神戸製鋼がホームとしている。

下から見上げるとバカデカいスタジアムである。
前に公園広場もある。
その下は駐車場となっている。
それぞれの球団事務所が近くにあるのかと思いウロウロしてみたが、見つけることはできなかった。

球技場の前の和田地区を貫いている先程の広い道に出てみる。

そこは今まで歩いてきた昔の面影を残す工場や住宅街から一変して、小洒落た街が両側に広がっている。
同じ和田でもこのように違うのかと、スタジアムの効果に感心させられたのであった。

平安時代末期の大和田の泊・兵庫津から現代のサッカースタジアムまで、今昔同居する和田岬駅の近隣の風景であった。

〔わノ駅 完〕