「る」の付く街を探してウオッチングした。
るの待ちは極めて少ない。
代表は北海道の留辺蘂や留萌があるが、そこまで行く機会が無かったので、今回は名古屋へ行く機会を利用して、北区にある「瑠璃光町」を訪問した。

瑠璃光町は地図で見ると、南北に僅か1kmぐらいの細長い街である。
おおよその場所は、名古屋駅から北東の方向2km強に名古屋城があるが、そこから更に北東方向2km強の所にある。
言い換えれば、瑠璃光町は名古屋駅から北東5kmぐらいの所にあって、その中間点に名古屋城がある。
そのような位置関係である。

瑠璃光町に行くには、地下鉄の「名城線」を利用する。
名城線は地下鉄としては珍しい環状線である。
一周はJR大阪環状線よりも長く、東京の山手線よりも短いものである。

この地下鉄の「志賀本通」と云う駅で下車する。
名古屋城最寄りの「市役所前」からは右回りで三つ目の駅である。
尚、志賀本通駅の地上の道路も名古屋環状線という名称の道路である。

駅の階段を登って地上に出たところから少し東に行く。
この辺りは若葉通という住所地である。
若葉通2丁目と書かれた歩道橋のある交差点から北へ向かう道路の、一区画北へ行ったところから瑠璃光町が始まる。

瑠璃光町はここから北へ1~5丁目まで連なっている。
広い道路の両側と路地を眺めながら進むことにする。

先ずは右手の路地である。
成福寺(じょうふくじ)という禅宗曹洞宗の寺がある。
この寺の本尊「薬師瑠璃光如来」から瑠璃光町という町名が付けられたと云われている。

しかし、門前や寺門には可愛らしい絵看板が貼り付けられている。
寺の境内そのものが幼稚園となっている。
「瑠璃光幼稚園」という。
それだけならいいのだが、境内では先生方が荷物を運んだり、忙しく運動会の準備をしていて、中へ入るのは邪魔するようで悪い。
また後にしようと、その場を離れて横の神社に行った。

横は住所が瑠璃光町ではないが、そこには「六所社(ろくしょしゃ)」と云う神社がある。
「六所神社」とは、その国の一宮から六宮までの祭神を勧請して総社としたことによるものである。

行って見ると、鳥居に日の丸が旗竿クロスで掲げられている。
もしやと思って境内に入ってみる。

社務所では数名の神官の方が忙しそうに動いている。
また拝殿や本殿の所では、神社の総代の方々であろうか、清掃作業を行っている。

張り紙を見てみると、まさに本日は例祭の日、忙しい筈である。
ここもパスして、次へ進もう。

神社の裏側の通りの向こう側は、もう2丁目である。
表通りには多少の商店や食事処がある普通の街並みである。

葬儀社の本社など企業の建物もある。
北へ進む。
3丁目辺りも同じである。
ただ3丁目の交差点の手前に、先ほどの葬儀社の斎場があるぐらいが変わっているところか?

更に北に行く。
この一角は様相が違う。
通りの右側には、大型のショッピングセンターとホームセンター、携帯ショップがある。
また通りの向かいには、コンビニ、本屋・レンタルビデオ店、百均など、最近の店が並んでいる。
瑠璃光町では唯一の他の街と変わらないショッピングゾーンである。
ここは瑠璃光町4丁目である。

更に北へと進む。
左手に中規模の工場、右手に大きな団地がある。
団地は「UR尾上」という名称である。
高層の建物が菱型に配置されてい、住まいし易いような雰囲気である。

この場所の瑠璃光町は5丁目で、この先で道路は突き当りである。
そして斜めに「瑠璃光橋」を渡ることになるが、この辺りからは別の町名「辻町 流」となるので、ここまでである。

橋を渡らずに道路を右手に取る。
フェンスの上にシャクナゲに似た花が列をなして咲いている。
その向こうに大きな公共らしき建物がある。
門の銘板を見てみると「愛知県環境調査センター」「愛知県衛生研究所」となっている。

この研究所の通りを挟んで、瑠璃光橋の辺りに「御用水跡街園」の石碑がある。
御用水と云う名前から、尾張藩か幕府管理の水路があったのであろうか?
現在の川「黒川」とどのような関係があるのだろうか?
興味のあるところである。

後で調べてみて、やはり御用水は、かつての名古屋城の掘の水源として開削された「御用水」であった。
「黒川」と並行して流れていたとのことである。

その用水、戦後の水質の悪化などから1972年から埋め立てられ、一部が遊歩道付の街園として整備されたとのことである。
近年は桜の名所として市民からは親しまれているらしい。

なお黒川であるが、上流の鉄道工事の際に湧き出た地下水が放流されて以来、急速に水質が向上したと云われている。
そして現在は庄内川よりの導水が行なわれているとのことである。

黒川縁を歩いてみると、成る程桜の木が沢山ある。
シーズンには見事な花を咲かせるのであろうと思われる。

また川縁には「堀川を清流に 堀川応援隊」という幟も建てられている。
市民の方々の運動として綺麗にしようと云うことでもある。
橋には黒川と書かれ、幟には堀川と両方の川名が使われているが、同じものなんであろうか?
その経緯も知りたいものであるが、あまり深くは詮索しないでおこう。

黒川に架かる瑠璃光橋、そして埋め立てられた御用水、そしてこの黒川は名古屋城の堀の所を流れて名古屋港に注いでいる。
地図によると下流は堀川と書かれている。
現在はただそれだけのことであるが、そこには江戸時代以降の尾張・名古屋の街建設の様々な出来事があったのではと思われる。

瑠璃光橋でUターンである。
元の広い道を戻ることにする。
歩く方向が反対向きだと、街の雰囲気も違うものに見える。

時々自転車族が後ろから走り抜ける。
ヒャッとする瞬間である。
何処の街でも同じである。
駅や繁華街ではスマホ族、舗道ではチャリ族、マナーが心配である。
いったいどういう国になって行くのだろうか?

最初に訪れた六所社に戻る。
祭礼のスタートであろうか?
神官の服装をした10人ぐらいが鳥居の下で輪になっていて、何か鶴首協議をしているようである。
近づきがたいので、またもやパスである。

幼稚園となっている成福寺、門には大人が一杯である。
運動会が始まったのであろう。
とても入れそうに無いのでこれもパスである。

訪問した日が悪かったようである。
仕方ないと諦め、元来た駅に戻ったのであった。

〔完〕