大阪から神戸に向かう阪神電鉄阪神本線が淀川を渡る手前に「淀川」という駅がある。
各停だけの駅である。
いつもは特急や急行で通り過ぎるだけでなので、今回はここで下車して付近を眺めてみることにする。

淀川駅はその名の通り淀川縁にある。
少し歩くと淀川の堤防に達する。
堤防から対岸を眺めてみる。
大鉄橋の向こうは阪神の姫島、少し川上はJRの塚本である。
阪神電車の鉄橋は阪神高速の渡河橋と並行している。

堤防から河川敷へ降りて、少し川上へ歩いてみる。
遊歩道?があるだけである。
さらに川上へ行くと、国道2号線の淀川大橋を潜る。
この橋は水面からあまり高くない。
船が潜ると云うことは想定されていないのであろう。
この辺りには船は一隻も見られない。

潜ったところにはサッカーの練習場がある。
この時も暑い中ではあるが、どこかの若者チームが練習していた。

練習場の横から堤防へ上がる。
大阪梅田方向が良く見える。
スカイビル、うめきた、見慣れた光景である。

その手前に、T印刷の工場も見える。
この間建設していたA新聞との合弁の工場も出来ている。
かつて仕事で何度か通った工場であることを思い出した。

堤防を淀川駅の方向に戻ろう。
先ほどの淀川大橋の南詰、そして淀川小橋、かなり古い欄干である。
小橋の下の川は草が生えている水の無い川である。
この水無川に沿って駅に戻ることにする。

駅の向こうは大阪市の下水処理場がある。
薬品の匂いも少しするような気がする。
その上には阪神高速のジャンクションも整備中である。

下水場の向こうには関西では有名なホームセンターKNもある。
この場所から淀川と反対側、東側に進む。

暫く行くと、名前は分からないが片側2車線の大きな通りに出会う。
少しこの通り沿いを探検してみる。
直ぐに「松下幸之助 創業の地 第二工場跡」という看板を見つけた。
そうだ、この辺りは幸之助の創業の地であったのだ。

通りの向かいには西野田工科高校がある。
「100年の伝統」と掲げられている。
大阪府立の工科高校としては、最も古い歴史を持っている当初からこの地に開校した学校である。

せっかくだから幸之助の跡地を詳しく見てみよう。
高校の前を通り過ぎ、狭い道に入って行く。

松下幸之助と云っても知らない方もいると思う。
現在のパナソニック、改名前の松下電器産業の創業者である。
和歌山から大阪に丁稚奉公に出てきて、大阪電燈(現関西電力)の社員を経て独立し、電球ソケットを手掛ける小さな電器会社を設立した。

最初は東成区の自宅を仕事場にしていたが、手狭になったため、先程の工業学校の横に自宅を引っ越し、周辺に工場を幾つか設け、昭和8年に門真市に移転するまで自転車用電池ランプや、アタッチメントプラグ等を製造・販売したと云われる。

案内看板によると松下電器のポイントは4ヶ所ある。
先ほどの第二工場跡、それと第一次本店・工場跡、第二次本店・工場跡、創業の家である。
順番に見て回った。

そのうちの1ヶ所、第二次本店跡は公園となっていて、「道」という石碑が建立されている。
石碑には松下語録、
『自分には 自分に与えられた道がある
・・・・
しかし 心を定め 希望を持って進むならば
必ず道はひらけてくる
・・・・       』
が掲載されている。

4ヶ所のどの場所にも当時の建物は残っていないが、街の雰囲気から、当時を偲ぶことができたのである。

それにしてもこの幸之助は、製品へのアイデア、それに意志の強さを持っていて、それを十二分に実現した凄い人物である。
時流に上手く乗って行ったのも才能の一つであろう。

この辺りは大開(おおひらき)と云う。
メインの商店街は、大開商店会、野田阪神駅前本通商店街という。
この商店街を辿って行くと、阪神電車の淀川駅の隣駅、野田駅に到着したのであった。

〔よノ駅 完〕