大阪市の此花区には夢洲・舞洲という人工島がある。

先ず此花区と云う行政区であるが、その区名の由来については、5世紀前半、百済国から来日して、論語などを伝えたという王仁博士の難波津の歌から名付けられている。
王仁(わに)博士の歌は、
「難波津に 咲くや此の花 冬ごもり
今を春へと 咲くや此の花」
である。
また同時に大阪市浪速区もこの歌から、「なんば」と混同するのを避け、「難波」から「浪速」へと変換されて名付けられている。

この此花区には良く知られているものがある。
それはユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)であろう。

今回は大阪駅から「JRゆめ咲線」の愛称で親しまれている「桜島線」に乗って、ユニバーサルシティー駅の先、終点の桜島駅で下車して夢洲・舞洲を訪ねてみることにする。

桜島から舞洲に行くには、北港観光バス社が運行している舞洲アクティブバスに乗る。
舞洲の島を一巡する循環バスである。
先ずは舞洲の先端にあるロッジ舞洲前まで行き、そこからウオッチングを開始する。

まず海側に「舞洲インフィニティーサーキット」というスポーツカートのサーキットがある。
数台のカート練習が行われていた。
その隣に舞洲のシンボルであろう、小高い円形の丘が作られている。
「新夕陽ヶ丘」という名付けである。
この丘に登ってみる。
付近の景色を見ることができる。

北は尼崎方面、先ごろから売却すると話題になっているのPANA社のフラットディスプレイの白い幾つかの長方形状の建物とその工場建物の間に阪神高速の湾岸線道路が通っているのが見える。
西は大阪湾の海しか見えない。
南は隣の夢洲が見えるが、この辺りはまだ平坦な更地のようである。
東は舞洲のスポーツ施設の照明設備が見える。
このような風景である。

丘を東方向に降りる。
東斜面は庭園の造作になっているが、この時期に咲いている花は無いようである。
丘を降りるとそこには「舞洲陶芸館」と云うのがある。
陶芸を楽しむための市民向けの施設のようである。

その陶芸館の前を通って、広い道路を少し歩いてみる。
右側は広い公園である。
「舞洲緑地」という。
この緑地に因んでか、舞洲の西半分は「北港緑地1、2丁目」と云う住所地である。

この公園に入ってみる。
桜が沢山咲いているところがある。
また広い場所があり、その真ん中には灯台がある。
この辺りはイベント広場であろうか?

公園を南へ通り抜けると海岸に出る。
海岸べりは広い遊歩道になっている。
そこからは隣の夢洲全体が見える。
大部分は更地のようで、フラットである。
東の方には、沢山のクレーンが並んでいる。

その手前には大きな橋が見える。
夢舞大橋である。
夢洲と舞洲を繋いでいる橋である。
この橋は浮体式旋回可動橋という方式の橋である。
緊急時、大型の船舶が通過する際には、可動部を旋回させる機能を持っている。
この橋を渡って夢洲へ行こうというのも今回のウオッチングの企画の一つである。

先を急ごう。
遊歩道は橋のかなり手前で行き止まりとなる。
海から離れる方向に歩く。
大きな野球場らしきものがあるので行ってみる。
「舞洲ベースボールスタジアム」である。
2階にある入場ゲート付近まで行ってみる。
催し物は何もなく閑散としている。
北側には「舞洲アリーナ」という大体育館も見える。

野球場と体育館の間の東に向かう。
突き当りの駐車場を越えたところに大きな運動場がある。
かなり広い。
野球をするなら、4つある角で同時に試合ができそうな多目的広場である。
この時は1つだけ、どこかの野球チームが練習中であった。

隣接して南に賑やかな場所があった。
行ってみると綺麗に芝が敷き詰められたサッカーの練習場であった。
コートは2面、観客席もある。
Jリーグの「セレッソ大阪」の練習場である。
丁度この時チーム練習がされていて、ファンも駆け付けて見学中であった。
しばし休憩がてらに練習を見学したのであった。

そろそろ夢舞大橋を渡ってみよう。
サッカー練習場横を通っている橋に繋がる道路に出た。
車は橋を行き来している。
歩道もある。

しかし歩道には工事用のフェンスが置かれていて、通行止である。
橋は渡れないのである。
どうしたんだろう。
あれこれ言っても仕方ないので通れるようになったら、また来てみよう。

補足をさせていただくと、
5月13日より南港(咲洲とも云う)の地下鉄コスモスクエア駅から夢咲トンネルを潜り、夢洲を通過する舞洲行きのバスが開通している。
但し、夢洲には停留所はないので下車はできないようであるが…。

橋を渡る道路の向こう側はビル群である。
プロロジスパーク舞洲と云う。
「北港白津〇丁目」という住所地に変わる。
プロロジス社という企業が運営する物流倉庫群で、貸倉庫である。
1棟をそっくり貸している場合や複数企業に貸している両パターンがある。
知っている企業の名前が沢山出て来るので、見ながら進む。
事務用品のASKUL社の倉庫も良く目立つ。

東へ進む。
アラビア風の王宮に似せたような変わったタワーや建物が見えてくる。
一つは大阪市環境局の清掃工場、もう一つは舞洲スラッジセンターである。
メインの道路の左右にある。

近くの阪神高速を車で走るときに、変わったものがあるなァと思っていたが、これだったのである。
環境施設の建築設計で有名なオーストリアの芸術家フンデルトヴァッサー氏の設計であるとのことである。
オリンピック招致を意識してこのような設計にしたそうで、建設には莫大な費用を掛けたと云われている。
どちらの施設も見学できると云うことであるが、事前の手続きが必要と云うことで、今回は外から眺めるだけである。

一番東の此花大橋に近いところに「アミティー舞洲」という障害者スポーツセンターがある。
宿泊も可能な施設である。
舞洲建設の時に最初に取り組まれた施設と記憶している。
このような施設は大変好ましいものである。
また舞洲に入るときにバスで渡ってきた此花大橋に近いところに、外からは何か分からないが、7~8階建てのタワーのようなものもある。

この地点で舞洲のウオッチングは終了である。
天候も悪く、雨が激しく降り出した。風もある。
バスを待って、大阪の市街地へ戻ることにした。

さて、夢洲・舞洲と云えば大阪オリンピック招致運動に大きく関係する。
もう古い話になるが、大阪はこの夢洲・舞洲をメインの会場として、2008年のオリンピック開催を目論んでいた。
「世界初の海上オリンピック」も目玉の一つであった。
そのためにこの2つの人工島の整備を進めていたと云っても過言ではない。
しかし残念ながら、開催地は投票で中国北京に決まり、とりわけ夢洲は無用の長物となってしまったのが現実である。

それはそれで国際的に決めることなので力不足と云えば、そうなのであるが、問題はその後の計画変更をどうするかと云うことが大切である。
現在は夢洲の南東部分には高規格のコンテナターミナルが2つあり、海運物流に運用されている。
これをさらに拡大する計画はある。
「夢洲物流センター」として完成させ、7000個分のコンテナ船が入港できるようにする計画である。
しかしこれだけでは、埋め立て完成後の390ヘクタールの夢洲人工島は埋まらない。

別途、広大な空き地は産業区域として製造業などの誘致をする計画もあるらしいが、昨今の経済状況ではどのように展開していくのであろうか?
一つには円安傾向が続行し、中国へ展開されていた産業の空洞化部分を日本に取り戻す流れにでもなればいいことであると思われるが、如何であろうか?

どちらにしても、この夢洲(ゆめしま)・舞洲(まいしま)の有効活用は大阪府市の行政手腕によるところが大きい。
関係者の方には、夢で終わるのではなく、夢の実現に向けて、大阪の底力を発揮して是非とも頑張ってもらいたいものである。

〔完〕