「や」の酒、奈良吉野の「八咫烏(やたがらす)」を手に入れた。
吉野町の「KO本店」の醸造である。
入手したのは国産米、国産米麹の精米歩合65%の純米酒、原料米は「亀の尾」となっている。
この亀の尾であるが、既に夏子物語のところで触れている通り、この夏子の酒のモデルとなった新潟の「KSM酒造」が復活にチャレンジして成功した酒米である。
ここ奈良吉野でも亀の尾を使った酒が飲めるのである。

八咫烏を頂いてみた。
少々の辛口であり、そして濃厚である。
日本酒度+3~4、酸度は1.4ぐらいであろうか?

ここ吉野は、山林業に従事する人が多い。
そして、その時期には余所からきて、泊まる労働者も多い。
一日のキツイ作業で疲れた体を癒すためには、濃厚で辛口の酒が良いのであろうと頷ける味である。

「KO本店」の酒蔵は吉野川沿いにある。
伊勢街道、熊野街道が通っている古代からの街道筋にある。
創業は江戸時代の初期、吉野の街道筋に金融商を営んだのが起こりとされている。
以来、酒、醤油の醸造や油の製造なども手広く商いをしていたと云う。
明治の時代になって酒造りに一本化し、現在に至っている酒蔵である。

「八咫烏」という酒銘は、神話の八咫烏から来ている。
神武天皇が熊野からの東征の折り、吉野山中で道に迷っていたが、そこに八咫烏が現れ道案内をしたとの言い伝えがある。

八咫烏は3本脚のカラスで、その謂れから熊野本宮、那智、速玉の三社では神鳥として祀られ、神社のシンボルともなっているのは良くご存じのことであろうと思われる。

KO本店では、この吉野とかかわり深い八咫烏を商標とし、古代からの歴史と温かみを継承しているのである。

また余談であるが、八咫烏は日本サッカー協会のシンボルともなっている。
それは、日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助氏に敬意を表し、氏の出身地の那智勝浦町にある熊野那智大社の八咫烏から来ている。

この酒蔵がある吉野は、現在は桜の名所として有名で、吉野熊野国立公園の一部である。
また古代から、歴史の舞台にたびたび登場する所でもある。
まず飛鳥・奈良時代であるが、吉野離宮があった。
大海人皇子(後の天武天皇)や持統天皇が訪れていたと云われている。
また万葉集にも歌が詠まれている。

平安時代末期には源義経の隠れ里、南北朝時代の後醍醐天皇の都、そして戦国末期の豊臣秀吉の吉野の花見などである。
これらの舞台である吉野の山は、この酒蔵から吉野川を渡った山側から奥へと連なっている。

せっかくの機会であるので吉野山を見てみることにする。
山に上がって行くと、通りの両側に土産物などのお店や民家がある。
先ずは黒門、そして銅の鳥居、その先に金峯山寺の大きな山門と境内へ上がって行けば大きな本堂がある。
世界遺産・国宝の蔵王堂である。
境内を抜けて進むと暫くは平坦な街道になる。

左手に世界遺産の吉水神社へ至る道がある。
吉水神社は明治までは金峯山寺の僧坊で吉水院(きっすいいん)と云った。
かつては後醍醐天皇の行宮となった所で、現在は後醍醐天皇、楠木正成、他を祀っている。

更に進んで左手の谷の方へ入って行くと、少し時間はかかるが後醍醐天皇の陵墓と如意輪寺がある。
正成亡き後、楠木家の棟梁となった正行(まさつら)が、この如意輪寺のお堂の扉に、辞世の歌を鏃で彫りつけたものがこの寺に保存されている。
そして、正行一行は、各自お堂に髪を切って奉納した。
この遺髪塚も境内に建立されている。

吉野は熊野に至るまだまだ入口である。
ここから熊野に抜けるには、大峰・大台の山中を縫って、そして北山村を通って大変な行程がある。

旅人もこの地吉野の地で、美味い酒を味わって気合を入れたのであろうか…。
あるいは山中を抜けて来て、無事を喜び、旨酒を飲んだのであろうか…。
そんな吉野の酒であった。

〔やノ酒 完〕