「も」の駅は大阪の方なら良くご存じのJR大阪環状線「森ノ宮駅」である。
JRのみならず、大阪地下鉄の中央線、長堀鶴見緑地線も通っているので、通過する方は勿論のこと乗換する人も多いのではないかと思われる駅である。

森ノ宮で下車し、先ずは中央大通りに沿って東へ歩いて見る。
大阪の医療ゾーンが道の両側にある。
「大阪府立健康科学センター」「大阪がん循環器予防センター」「大阪府立成人病センター」「森之宮クリニック」そして「日赤血液センター」「森之宮病院」がカギ型に並んでいる。
そしてカギ型の中にはURの高層「森之宮団地」団地がある。

もう少し北へ行けば、「森之宮小学校」その先は「大阪市立工業研究所(現在は、大阪産業技術研究所森ノ宮センター)」である。
ここまで来て、元に戻る。

駅の西側である。
先ずは、日本生命球場があった所である。
かつて、この球場へ近鉄バファローズの西本監督の引退試合を見に行ったことがある。
悲運の名将と云われた人である。

この球場の跡地は現在フェンスに囲まれ工事中である。
再来年を目指して、大型スーパーや大型家電量販が進出すると云われている。

ただこの場所は古代から人々が集まり栄えた場所である。
難波宮(なにわのみや)を始め、もっと古い時代の遺跡が掘れば掘るほど出てくる場所かと思われるので、どうなるのであろうか?

工事現場の横から「ピロティ―ホール」の横を通り東へ行く。
神社の裏門らしき鳥居がある。扁額には「鵲森宮(かささぎもりのみや)」と書いている。
さてはと思い、境内に入ってみた。

この神社は聖徳太子が建立した神社である。
太子が物部守屋との決戦の時、戦いの時、必勝を期して父の用明天皇と母の穴穂部間人皇后を神として祀ったと云われる。
この場所近くに四天王の像を刻んで祀った元四天王寺と対になっている神社である。
当時、新羅より持ち帰った鵲をこの場所で飼わせたことから、鵲森宮と云うのが神社の正式名称となったのである。
森之宮の地名の起こりもこの神社から来ている。

織田信長の石山本願寺攻めの時、武者の侵入・掠奪があり、建造物も灰燼に帰したと云われる。
その後再建され、大阪大空襲の時にも焼けなかった霊験あらたかな神社と云われている。

次は中央大通りを北へ渡り、大阪城の公園へと入って行こう。
天守閣が向こうに見える広い通りを進む。
暫く行くとこの広い道は幾つかの細い道となる。

向こうに赤い色が見える所に向いて進んで行く。
モミジ園である。
真っ赤から緑の木々まで、見事なグラデーションである。
一つ一つを丹念に観賞しながら一巡した。
大阪城の公園にモミジがあるとは知らなかったので、いささか感動した。

明るい方にクリスタルビルが見える。
堀の向こうである。
堀の岸には桜の紅葉であろう、綺麗にならんでいるのも見事である。

モミジ園の横の石段を登る。
天守閣へ進む門に到達する。玉造門であろう。
右手に本願寺と蓮如の記念碑を見ながら進む。

内堀に到達した。この辺りは空堀である。
左手に豊国神社がある。
正面に秀吉像が建っている。少し眺めて、さて本丸・天守へ入って行こう。
潜る門は桜門である。
正面に大坂城で最も大きい石もある。

その石の前を通過し、本丸広場に到着したのであった。
天守閣を眺め、内堀を介し西の丸広場の紅葉を眺め暫し休憩、あとは帰路のみである。

天守の横の坂道を山里曲輪(やまさとくるわ)のあった場所へと降りて行く。

秀頼・淀君自刃の碑が寂しく建っている。
この辺りは紅葉は殆どない。
また、碑の向こうは石垣工事のため、立ち入り禁止となってもいた。

内堀を極楽橋で渡る。
青屋門へ向かう。青屋門も工事のシートで覆われていたのは残念であった。

門を出ると、公園の外周道路である。
大阪城ホールが道路の向かい側にある。
砲兵工廠跡の石碑の所を左折し、OBPを通り、京橋駅へ向かったのであった。

〔もノ駅 完〕