「み」の酒、「宮水の華」と云うのがたまたま手に入った。
特別純米酒、SMM株式会社の醸造である。
日本酒度+3.0、酸度1.50、精米歩合65%、兵庫県産山田錦100%、そしてアルコール度15度以上16度未満である。

早速頂いてみる。
口当たりは芳醇、喉越しは旨口、良くできた酒である。
全くもって美味い酒とはこのことを云うのであろう。
どのような料理にも合いそうである。

SMM社は、神戸灘の魚崎郷にある酒蔵である。
「櫻正宗」と云う酒銘で良く知られている。
この酒蔵のことについては、このシリーズで時々触れているので被ると思うが、好きな話なので、正式に順番が回ってきたこの機会にもう一度話をさせていただくことにする。

頃は江戸の末期の頃である。
今の神戸市、摂津の国に、山邑太左衛門(やまむらたざえもん)という酒元の主人がいた。

当時、六甲山の南側の地域に、酒蔵が数多くできて来ていた。
伊丹や池田に対して優位性が保てるからである。
その優位性とは、六甲山から流れ出す綺麗でミネラルを含んだ水の利便、江戸への海運の便、酒米の産地に近い等である。
勿論のこと、江戸幕府の引きもある。

灘と西宮の両方の蔵で、酒造りに励んでいた山邑太左衛門は日々思っていた。
「味が違うよなァ…。 灘のは美味いけれども…、西宮のようなスッキリ感がない」
「そうだ…。 米を西宮のを使ってみよう」
と造ってみたが、灘のは西宮に追いつかない。
「コウジか、温度か、杜氏か?」
西宮の杜氏も呼んで、灘で造らせてみた。

「灘では灘の味しか出ないな…。やりたくないが、水も運ぶか? 無駄とは思うが…」
時はまだ江戸時代、水を運ぶのはおおごとである。
桶を大量に作り、人と荷車も手配して、大行列をしなければならない。
隣組の酒蔵からは、
「気でも狂ったか?」
とバカにされたそうである。

それでも、探究心の旺盛な太左衛門、やってみないと気が済まない。
「バカと云われようが、チョンと云われようがやってみるぞ!!」
と蔵人に大号令を掛け、桶を作り西宮を何度もゾロゾロと往復した。

山田錦という米がある。
神戸の西、東播州一帯で獲れる酒造りに適した米である。
新米が出来るのを待って、満を持して西宮とそっくりに仕込んでみた。

新酒を口にして言った。
「美味い、美味い 西宮と一緒のものができた。皆の者、味わってみい…」
順番に味わった。
拍手が起きた。
その日は太左衛門の酒蔵の蔵衆一同、皆で遅くまで酒盛したという。

太左衛門はこの水を、宮水と名付けた。
西宮の酒蔵の井戸から汲み上げた水と云うことである。

太左衛門は太っ腹である 近くの酒蔵にも話をした。
我も我もと、西宮から水を運んだ。
当時は、この水を酒蔵に売る商売も成り立ったということである。
六甲颪(ろっこうおろし、六甲山から吹き下ろす、冬の冷たい風)と相まって、灘の酒造りは、天下一品となった。

宮水は、六甲に端を発する夙川の伏流水、場所は甲子園球場の西の方、戎の一番福争いで有名な西宮神社の直ぐ東辺りが当時の採集地で、記念の場所として大切に守られている。
水質は六甲山の花崗岩の中を通過し滲み出す伏流水に海水が微妙にブレンドされたようなものだそうである。

余談ではあるが、太左衛門の酒は当初、正宗と云った。
清酒(せいしゅ)から「せいしゅう」⇒「正」+「宗」⇒「正宗(まさむね)」、と名付けられたのである。

太左衛門は後の商標登録制度が出来た時に、正宗の名で登録しようとしたが、正宗を称していた酒蔵が多くあって却下され、止むを得ず「櫻正宗」にしたそうである。
桜の下で皆で飲む酒を酌み交わす風景が浮かんだのか、杯に浮かぶ花びらを思ったのか、それは分からない。

宮水の酒は一世を風靡した。
今でも日本の代表的酒蔵として全国的に知れ渡っている。

またまた余談であるが、西宮という地名の由来はどうであろうか?
西宮には「廣田神社」という神社がある。
阪神球団の選手が戦勝祈願にお参りする神社である。
「日本書紀」に書かれている神社で摂津の国では1800年以上の歴史がある最も古い神社だそうである。
この神社が都の奈良や京都から見て西の方角にあるので、いつの頃からかこの鎮座地を西宮と呼ぶようになったとのことである。
「宮水」の「宮」の由来である。

〔みノ酒 完〕