「へ」の付く駅は関西にはさほど多くない。
濁らせて「弁天町」、それに近鉄線の「平城」「平群(へぐり)」ぐらいであろうか?
このうち弁天町と平群は別のシリーズで訪問しているので、今回は平城駅を訪問することにした。

近鉄京都線の駅である。
大和西大寺駅から京都に向かって最初の駅である。
通常は急行は止まらない通過駅である。
しかしこの駅は「奈良けいりん場」の最寄なので、競輪開催日には急行が停車する駅となる。
通常は駅周辺の人の通勤・通学・所用に利用される駅であろう。

早速下車してみる。
丘陵地帯への入口の駅である。
ここから北は奈良山丘陵と云い、低い丘が東西に連なり京都府との境をなしている。

駅を降りると案内ポールがある。
右方向「成務天皇陵」、反対方向「神功皇后陵」となっている。
先ずは右方向の細い道を登ってみる。

暫く行くと森と濠が見えてくる。
成務天皇陵であろう。
濠に沿った道を歩く。
左手にも濠と森がある。
間を進む。
行き止まりの左手に陵墓への拝所がある。
行ってみると「垂仁(すいにん)天皇皇后日葉酢媛(ひばすひめ)命…陵」とある。
日葉酢媛は景行天皇の母である。

今度は右手方向の成務天皇の拝所へ行く。
成務天皇は景行天皇の子供であり、日葉酢媛の孫にあたることになる。
おばあちゃんとその孫の墓が並んでいると云うことになる。

墳墓の前を通り住宅街へと戻る。
旧家も見られる。
この辺りの住所地は奈良市山陵町という。

今度は西へ行く。
線路を渡ると鳥居がある。
山陵八幡神社という。
この辺りの氏神であろうか?綺麗に整備されている。
お参りして神社の横に出る。

「仲哀(ちゅうあい)天皇皇后神功(じんぐう)皇后…陵」の看板がある。
丘に登って行くようになっている。

木立の中を登る。
途中から平坦は参拝路となり、その先に拝所がある。
大きな前方後円墳である。全長275mもある。

神功皇后は夫仲哀天皇の後を受けて天皇の位に就いたとも云われている。

神功皇后は三韓征伐で良く知られている。
半島への渡航の時には妊娠していたが、それを遅らせるために石で冷やしながら行ったと云われる。
その石は「月延石」と云われ、3個の内1個が京都洛西の月読神社に祀られている。

また新羅征伐後、大和に帰る時に瀬戸内で海難に会い、それを鎮めるために住吉神社を各所に創建したと云われている。

皇后陵を後に更に西に進む。
向こうに奈良競輪場が見えている。
競輪場に入ったが、レースは開催されていないので、工事関係者しかいない。
通り抜けて更に西に向かう。

競輪場の先には「秋篠寺」がある。
近年、秋篠宮家の名前の由来となったことで良く知られるようになった。

奈良時代の末期、世の中に起こる奇怪な事件や事象(富士山噴火)を慰撫するために光仁天皇の開基・創建になった寺である。
現在はどの宗派にも属してはいない。

平安京を造った桓武天皇の法要もここで行ったと云われる皇室との繋がりが大きい寺である。
競輪場からは突き当りである東門から入山し、苔が綺麗な庭園を一周して、伽藍配置された場所に行く。

中心の本堂付近はその前も広く、見ごたえがある。
この本堂は旧講堂の位置に建っていて鎌倉時代の再建であるが、奈良時代・天平様が良く踏襲されていて、国宝となっている。

また、堂内に祀られている仏像群は殆どが重要文化財であるが、その中でもふくよかな顔立ちの伎芸天立像は特に有名で、美術の教科書などには良く登場している。

退出時に受付でバスがあることを聞いて、門前で暫く待って隣の西大寺駅に着いたのであった。

〔へノ駅 完〕