近鉄奈良線の電車が大阪の東部で生駒山の勾配を上がって行くが、その手前に「瓢箪山(ひょうたんやま)駅」というのがある。
なんやら変わった名前で、大阪弁で云うと、「けったいな」名前と云うことになる。

「ひ」駅この瓢箪山駅周辺を探歩してみることにする。
大阪方向から来て電車を降りると、ホームには「楠木正行(まさつら)の墓」と云う石柱がある。
この駅の南東方向の六万寺往生院に正行の墓と親・正成の供養塔があるとのことである。
いきなり歴史の匂いが漂う駅である。

瓢箪山の由来は何であろうか?
この解明をすべく、関係ありそうなところに行ってみることにする。

 

先ずは駅前の街である。
踏切から北方向と南方向の両方にアーケードの商店街がある。
先ずは北側、「サンロード瓢箪山商店街」である。かなりアーケードは長そうである。

次は南側、「ジンジャモール瓢箪山商店街」というあまり聞き慣れない響きである。
商店街の途中を東へ少し行ったところにある「瓢箪山稲荷神社」を分解したような名前である。

駅前の秀吉の千成瓢箪をモチーフにした金色の瓢箪モニュメントがある。
瓢箪山の名は秀吉から来ているのであろうか?

瓢箪山稲荷神社へ行ってみると何か分かるかもしれない。
南側のジンジャモールを歩いて神社へ行ってみよう。

ここで、地図から得た情報を伝えさせて頂く。
実はこの商店街、北のサンロードも南のジンジャモールも中世の東高野街道である。
そして現在の国道170号線でもある。
国道の上にアーケードを設けて商店街としているようなところは、日本中でここだけであろうと思うが、如何であろうか?

ジンジャモールには、いくつもの横へ入る路地がある。
その一つに石の鳥居の東方向へ進む路地があった。
その奥に赤い鳥居が見えている。目的の神社であろう。
その道々、神社の幟も経っている。
少し歩いて境内に到着した。

 

 

 

 

 

変わった境内である。
飾りつけも賑やかであるが、「辻占」と大きく分るように書かれている。
説明看板によると、この神社は辻占の総本社とのことである。

江戸時代には神社の参道から東高野街道の周辺まで、辻占が行われていたとされている。
この神社の辻占は、被占者は予め籤を引き、籤番号と同じ番目の通行人の性別・服装・持物、同行の人の有無、その人が向かった方角などから吉凶を判断するものである。
勿論占者は神社の宮司である。

明治になってからは大阪堂島の米相場の上がり下がりなども占って、大いに賑わったと云われている。
これまでに稲荷神社の現宮司は8000人以上も占ったという。
今でも日に2~3人は占っているようである。

この場所から少し北へ行った石切神社の参道は占いのメッカである。
東大阪市には人工衛星で宇宙を探究したり、占いをしたりこのような不思議な風土があるのであろう。

瓢箪山稲荷神社は、豊臣秀吉が大坂城を立てた時に、東南の鬼門のこの地に、伏見からふくべ稲荷を勧請して建立したと云うのが定説である。
瓢箪は、やはり秀吉の千成瓢箪からきているのであろうか?

神社にお参りして、ご朱印を頂いた。
ご朱印を書いて頂いた神官に聞いてみた。

「この神社の名前の瓢箪とは、やはり秀吉ですか?」
「いやいや違うんですよ。もっともっと古い話です。神社の裏は小高い丘になってますね。50m位の双円墳で、瓢箪山古墳と云うんです。瓢箪の形をしていたので、いつの頃からかそのように呼ばれたのだそうです。その瓢箪ですよ」
「なるほど…。古墳だったんですか…」
と、納得したのであった。

神社の裏手へ出てみた。
神社に隣接している古墳であったと云う丘が確認できたのであった。
そして裏の鳥居に並んで左右に「瓢山稲荷神社」という石柱と「瓢箪山稲荷神社『占場』」という看板柱が立てられていたのであった。

〔ひノ駅 完〕