「の」の付く酒、信州諏訪のMS醸造の純米吟醸「野可勢(のかぜ)」を手に入れた。
MS醸造は「真澄」と云う酒銘で全国的に良く知られた酒蔵である。
日本酒ファンの方なら良くご存じあろうと思われる。

この酒は、MS醸造が今回購入したスーパー「SI」が販売するために、2年間の研究を経て完成したオリジナル商品である。
この酒のキャッチフレーズはメーカーによると、
「味のある食中酒:しっかりと酒の味を感じながら、食事の邪魔をせず、食事をしっかりと引き立てる」
このようなことである。

製法は山廃純米酒に秘蔵としている大吟醸酒をブレンドし、そして出荷前に行う熱処理も瓶詰してから行うと云う手の込んだ作業としている。

この酒の薀蓄はともかく、先ずは味わってみる。

味は芳醇の部類に入る。
程良いフルーティーさである。
キレも良い。
喉越しはスッキリ、抵抗感はない。
幾らでも飲める酒である。

この野可勢(のかぜ)と云う酒銘は、ある有名な歴史上の人たちの手にリレーされた一節切(ひとよぎり)の縦笛の名前だそうである。

織田信長が「乃可勢(のかぜ)」という銘と織田の家紋「木瓜(もっこう)紋」が入った一節切の笛を持っていた。
信長愛用の笛だったが、秀吉に譲られ、秀吉から徳川家康に譲られ、そして家康は側室茶阿局の懇願に応え、子の松平忠輝に譲ったものである。
知る人ぞ知る天下取りの笛である。

この笛は現在、信州諏訪の貞松院という忠輝の菩提寺に保存されていて、その名をMS醸造が戴いたということである。
野可勢を現代の言葉で表現すると「野風」となるのであろう。
野を吹く風のように高く細く響き渡る音を表していているのであろうか?

酒銘「野可勢」には、このような謂れがあることは知らなかったが、そう言われれば歴史の風と香りがして来ようと云うものである。

MS醸造は信州諏訪にあり、7年に1度の御柱祭が行われる諏訪大社の麓の酒蔵である。
創業は江戸時代初期である。

現社長のMS氏の話によると、
MS家の先祖は地元の豪族諏訪氏の家臣であったが、戦国の世に諏訪氏や武田氏、織田氏の戦乱に翻弄された末、刀を捨てて酒屋となった。
MSの酒は、諏訪に幽閉された家康の6男松平忠輝、赤穂浪士の大高源吾が絶賛したと云われる。
メインのブランドである「真澄」は江戸後期から使い始めた酒銘で、諏訪大社の宝物「真澄の鏡」から戴いていると云うことである。

信州の諏訪は蓼科・霧ケ峰の麓に広がる高原盆地で、その山からの伏流水は酒造りに適していると云われている。
また、澄んだ空気と人々の勤勉さは、時計、カメラなど我が国の精密産業の発祥の地としても有名である。

MS醸造は、江戸末期から大正時代までは全くの貧乏酒屋で、内職をしたり茶葉を商ったりして生計を立てていた。

大正の中ごろ、家の再興に粉骨砕身した現社長の曽祖父が倒れた時、残された家族や子供たちは酒屋の廃業を考えたそうである。
しかし思い直し、「家庭円満に役立つ酒を造ろう」と決断して、以後奥様方でも飲みやすい「上品な甘口酒」が真澄のモットーとして、もう一度事業への挑戦を始めたのである。

新しいK杜氏も加わり、蔵元と杜氏は「東に銘酒ありと聞けば取寄せてきき酒し、西に美酒ありと聞けば夜汽車で見学に行き」という日々を送ったと云われる。

特に広島西条の酒屋には世話になったと云われる。
中でもKD酒造には親身の指導を戴いたと云う。
当時の蔵元の口癖は、「KDさんの陰口を言ったら家から追い出すよ」と感謝の念を表していたと云われる。

このMS醸造の転機は、戦後間もない昭和21年のことである。
真澄の酒が全国清酒鑑評会で上位を独占したのである。
その訳を醸造試験所が調べた。
すると真澄諏訪蔵で醗酵中のモロミから、極めて優れた性質を備えた酵母が発見されたと云う。
「醸造協会酵母七号」と命名された。

この七号酵母、瞬く間に全国の酒蔵に普及した。
発見から60年以上経った今でも全国60%の酒蔵で活躍していると云われている。
しかし特許も何もないので、一切の儲けには繋がらないが、「七号発祥の蔵元」は名誉であり、大きな宣伝効果となっているそうではある。

〔のノ酒 完〕